第3回 『三界火宅の消火器』
1999.01.17
常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息
(『法華經』譬喩品)
無事だった学生のなかには 西へ帰るのに 須磨から明石まで徒歩で歩いたものもありました。。臨時に召集された教授会にでるため、京都、大阪の先生達は、天保山から海路 須磨港へお着きになったのを記憶しています。阪神高速はひっくりかえり、橋げたが落ちた新幹線は何箇月も止まりました。
それよりも何よりも、17日の夜、神戸が炎上した光景は終生忘れることが出来ません。地震で壊れなかった新築の家が、避難中に丸焼けになって、全てを失った学生もおりました。
この世に安穏な所など無く 火をあげる家のよう。痛みを覚えながら火事の画面を見つつ、栄眞は「譬喩品」の言葉を思い出しておりました。
たくさんの苦しみが満々て 本当におそるべきところだ。
常に生老病死の苦しみが有り、火が燃え盛って消えないのと同じだ
生老病死 が四苦、それに4つの苦しみを加えて八苦。この残りの4つの苦しみはまた後日と申しておりました(01.03)。ここでその4つが何なのかをお話ししておきましょうね。
愛別離苦 あいべつりく 愛するものと離れ離れになる苦しみうまいこというものですね。この世は、このような様々な苦が満ち満ちて、火事になっている家のようなものだというのです。この火を消すのはただ一つ、何でも自分の思い通りにしょうとは思わないこと。怨憎会苦 おんぞうえく うらみ憎むものと会う苦しみ
求不得苦 ぐふとっく 求めるものが得られない苦しみ
五蘊盛苦 ごうんじょうく 肉体と精神が高ぶる苦しみ
(何故かカッカして寝付けない夜がありますね)
離れ離れは辛いけれど、離れ離れの時間があることがよいことなのかもしれない。
いやな人と一緒にいなければならないのは 辛いけれど それも何かのご縁、己を磨く修行なのかも。
沢山欲しがるから 沢山苦しい。ほしいほしいのほしだらけをやめてみる。それでも要るものは手に入る!
うまくやろう、自分をよく見せよう、と思うからカーとして心が落ち着かなくなる。わたくしはこれだけのもの、これだけのわたくしを大切に磨いてみようじゃないの。
そうしかならないことは、そうしかならない。だから無理はやめようと思う。それしか道が無いわけじゃない。別の道を通れば、苦しまずにするりと切り抜けられるかもしれない。
栄眞がそうして相手に寄り添って生きて行こうと思ったときから、「火」はぬくもりに変わりました。自然な素直な気持ちで相手に接することができるようになったのです。「自然が一番。自然は気持ちがいい」という誰かのことばがしみじみ実感される此の頃です。