(1999.1.24更新)

第4回 『沈黙を聴く』
 1999.01.24



第1回説法室に登場した福田襄之介先生が、1月22日心筋梗塞で急逝されました。
義母の岡大の恩師だった先生は、留学から帰ったばかりの岡田を瀬戸短大に呼び、文弘が4歳になると、育児休業中だった栄眞を本校の神戸女子大にご推薦下さいました。

その7年後、環境人間学部に移ることになったわたくしは、御報告とお礼のため、昨3月岡田といっしょに福田先生をお昼食会にお誘いしました。それが先生とのお別れになりました。

福田先生、もう2度と先生にお会いできないと思うと、やっぱり淋しさを禁じ得ません。
でも、お楽になられましたか?
「安気」ですか?
もうリハビリもしなくてよくなりましたね。


  今日はマリー・ド・エヌゼルというターミナルケアの専門家のお話をするつもりでした。でも、ふと以前、福祉哲学の講義で彼女の話をしたとき、心優しい女子大の学生達が泣き出したことを思い出しました。(勿論、彼女たちは感動したのですが) 今これを話し出すと、わたくしが泣き出してしまうかもしれません。この話はもう少し元気な時に致しましょう。

 そこで、今回は代わりに、エヌゼルが大変尊敬したズンデルという人をご紹介することにしました。



  モーリス・ズンデルは、プレ説法でご紹介したデ・メロと同じく、カトリックの神父さまです。デ・メロはインド人でしたが、ズンデルはフランス語系スイス人でした。生前わずかの人(その中には教皇ヨハネ・パウロ6世がいる)を除いては教会側から殆ど無視されていました。

重い病で身体の自由を奪われた 彼の友人によれば、ズンデルは彼を訪ねても、神のことは何も語らなかったそうです。しかし、ズンデルが部屋に入ってくる時、友人は深い喜びと言いようの無い優しさで包まれるのを感じました。

   ズンデルには不思議な共感の力がありました。かれは相手の苦しみを自分のものにし、その人の重荷をみずから背負って軽くし、あの深い喜びで相手の心を明るくしました。

   エヌゼルも言っています:「他人の苦悩の真っ只中に入り込んでしまうと、自分もまた必ず傷を負うことになる」 ― 辛い打ち明け話をきいたとき、わたくしたちは、自分も苦しくなりませんか? 一生懸命聞けば聞くほど。ズンデルのような作業を行なえる人はそう多くありません。



   ズンデルは「生きた沈黙」に包まれていたと言われています。彼は「自分自身と騒ぎを起こすこと」をやめた人でした。

この言葉を見た時、栄眞は、自分が今までどれほど自分相手に愚かな騒ぎを起こしてきたかと言うことに気付き、恥じました。自分が自分相手に騒ぎを起こせば、心の奥底のささやきは聞こえない。
 


聴くこと!
何よりも貴い、何よりも稀な、
しかし何よりも必要な行為。
いのちの深淵をあかしてくれるのは、
ただ沈黙だけである。  (ズンデル)


自分と騒ぎを起こさない清閑のとき、「視たことの無かったものが視え、聴いたことのなかったものが聴こえる」のかもしれません。 HP年賀状に書いた 「菩薩清涼の月」が「我が心の水に映ずる」とき とは、そのような瞬間を言うのでしょうか。

今夜は静かに心のささやきを聴いてみることにしましょう。神の調べが聞こえるそうですよ。

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[ 参考文献 ] モーリス・ズンデル『沈黙を聴く』 (女子パウロ会 1992) \1000

okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp