NPO法人千姫プロジェクト2004.1.26更新

2004市民による追悼行事を考える会協賛

千姫メモリープロジェクト

阪神大震災から10年目。あの頃のありがとうの思い出を花束にしてお届けします。

新着メモリー

いのりプロジェクト


「二ヶ月の息子を抱きながら倒壊した家を後にし、崩れた長田の町並みを見て呆然としながら避難した日。息子は今九歳になりました。オムツの配給に寒い中、代わりに並んでくださった方感謝してます。ありがとうございました」 ぐりどん隊員

わたしはそのとき 生後1ヶ月のこども(知樹)がいたので、身動きが取れず、主人の手伝いでおにぎりを握ったり、被災された知人にお手紙とお見舞金をお送りすることくらいしかできませんでした。でも、その後そのときのお返しとして恩師に送っていただいた本『災害と心の癒し』兵庫県臨床心理士たちの大震災ーという本に触発されて、今の私になる上で大きな転機となった-ヒューマンセンター構想が生まれました。」 おてんばママ隊員

 「震災後の火事ですべてを消失した学生のために、中学校と高校の卒業アルバムを下さった写真館と先生方、避難所で名簿作成や受付をし、仮設住宅をめぐって話し相手になった学生の皆さん、ありがとうございました。温かい心で助け合った記憶は今もわたくしの心の支えです。」ひよこ隊員

平成7年1月17日午前5時46分からもう9年ですかぁ!学生時代をすごした西宮、神戸、芦屋にはたくさんの友人、知己がいました。少し落ち着いてから、連絡がとれ、元気な声を聞いて相手も私も涙したことを想い出します。いろいろな団体に所属していたので、義捐金を送り、青年会議所や農業団体の炊き出し部隊をしました。一昨年には元気な友人を訪ね、昨年にはお世話になった西宮の友人ご家族とも再会できた。震災は人の繋がりの大切さを教えてくれました。プリンス隊員

 悲しいお別れと、嬉しい出会いを同時に経験しました。あのとき、ありがとうございました

1.10年以上前の旅行中に知り合いたった一度 写真の交換をしただけの沖縄の方から「お水」が届きました。そのケースには、沖縄色のお花の絵がたくさん描いてありました。半壊で塵と埃の我が家の中で、ただ一つの優しく可愛い癒しの花でした。 

2.大阪から6時間かけて我が家までバイクを運んでくれた教え子。歩いて帰るという、彼を 夫と二人で 途中まで送るために阪急電鉄の線路を神戸〜西宮まで、3人無言で歩きました。地震被害は線路まで折り曲げ、周辺は見る影もない様でした。彼が「もう、俺授業をさぼったりせえへんで!」と。ありがとう!と言ったり、言われたり、助けたり助けられたり震災で”人と人のかかわり合い”の大切さを実感しました。

その彼も、もう一児の 父親になっています。いるか隊員

僕の家庭での最も大切な仕事は、妻と二人の息子の目覚まし時計です。そんな寝起きの悪い家族が、被災された方々へのおにぎりづくりに2週間、毎朝頑張りました。炊飯器のお釜が小さいので、妻は午前4時に起きて、二度ご飯を炊きました。当時小5と小1の息子達は午前5時半に起きてきて、小さな手を真っ赤にして、一所懸命におにぎりを握りました。「どんな人が食べてくれるのかな〜」なんて呟きながら、最後の日にはおにぎりを包んだラップに、小さなメッセージを手書きで張り付けていました。

「がんばってください」「応援しています」綺麗な字ではないけれど、こころに響く元気な文字が踊っていました。ひとのために尽くせる喜びを、感じ取ってくれたでしょうか。そんな家族に心から感謝しています。その後また、僕は目覚まし時計に戻っていますが。こたつねこ隊員

僕のおじいちゃんの家は木造で、震災の時に一階が潰れてしまい、おじいちゃんは、一人、瓦礫の中に閉じ込められてしまいました。そんな時に、力を合わせておじいちゃんを助け出してくれた、おじさん、おばさん、そして地域の方々、本当にありがとうございました。とんび隊員

震災の2日後、須磨区在住の友人より、卓上ガスコンロ調達の要請があり何台か送る事ができましたが、その後、ガスコンロが市中より消え、一般の方々より、お使いのコンロを寄贈して頂きましたが、協力してくれた方々に、改めて「有難う御座いました。」と尚、この友人はボランティアとして3年間須磨区内で活動し、その後、エジプトで事故死しました。OJ@L@隊員功隊員

1995年1月22日、沢山のポリ容器に 水を詰めて、弟の家の片付けの手伝いに行きました。 あれからもう9年経つのですね。功隊員

私が震災を体験したのは、小学校5年生の時でした。地震が起こった時、私は気づけばタンスの下敷きになっていました。私は地震が起こる直前虫の知らせというか、ふと目を覚まして布団をかぶり直した瞬間にあの揺れがきたのです。そのため、布団がクッションになりました。

母は、私に必死に「どこにいるの!大丈夫!?」と叫んでいました。しかし、後で母の姿を見れば、頭に怪我をおって いたのです。自分よりも私のことを心配してくれたことがうれしかったです。直接は恥ずかしくて言えないけど、ありがとう。かりん隊員


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