栄眞尼の
電子説法室
1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。
第40回 『慈しみと情け深さ』 1999.10.31
「慈悲」ということばがあります。サンスクリットの「マイトリー」と「カルナー」を漢字にうつしたものです。慈マイトリーは「ミトラ(友)」からの派生語です。つまり友情。
悲カルナーは 感情を共有すること。憐れみとされますが、むしろ情け深さかな?
これらを仏教はいろいろに哲学しておりまして、例えば、<慈> は 同胞に利益と安楽とをもたらそうと望むこと(与楽)という考えもあります。<悲> は 不利益と苦しみを除こうとすること(抜苦)
★但しシナ天台ではこれが逆になっており 慈が抜苦、悲が与楽とされている。
日蓮宗はこれを踏襲している。
人の苦しみを知った時、あなたはどうなさいますか?ある人は、マイトリーを与えようとし、また ある人はカルナーを志します。
どちらもできる人もいれば、一方は苦手なひともあります。受け取る側にも同じ事がいえます。
苦しい時にも、明るい話がしたい人がいて、また、苦しい時には、一緒に苦しみを共有したいと願う人がいる。
相手は、この辛さの中でも愉快にやりたいと願っているのに、こちらが相手以上に悲しんで暗くなるのは拙いでしょう。
逆に、相手が、ただじっと聞いて共感してくれたらそれで幸せ、と思っているのに、なにかハッピーになれるようにと明るくおもしろい話ばかりしても、やっぱりとんちんかん。
どちらが求められているのかよく見極めることが大切ですね。
中村元先生がおっしゃったように、慈悲というのは結局は同じ「思いやり」ということです。相手をほんとうに思いやること、自分の自己満足ではなく、相手の願いによく沿って考えられること、それが慈悲深さなのでしょうね。
もう一度考えてみましょう。相手は何を求めているでしょうか? あるいは何を求めていないでしょうか?
今、与えようとしているものはひょっとしたら、求められていないものかもしれません。
そんなに力まないで、そんなにひとり張り切らないで、ひとを幸せにしようなんて大それたことは思わないで、ただ静かに思いやってみませんか。