栄眞尼の
電子説法室

1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。

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第39回
『そして 彼は高らかに笑った』

1999.10.24

秋になると何故かニーチェを読んでいます。ハイドンか ベートーヴェンのカルテットを聞きながら。Hofgarten に落葉が舞う頃、かつてニーチェも、このライン河畔を眺めながら、学生生活を送ったのだと、身のひきしまる思いをしながら、ボン大学に入学したのを思い出します。

「一人の若い牧人、それが のたうち 喘ぎ 痙攣し顔を ひきつらせているのを わたくしは 見た。その口からは 黒い蛇が 重たげに 垂れている。

彼は おそらく 眠っていたのだろう。そこへ 蛇が来て 彼の喉に 匐い込み ― しっかりと そこに 噛み付いたのだ。

わたしの手は その蛇を 掴んで引いた。ー また引いた。− むだだった。

わたしのなかから絶叫がほとばしった。「噛め、噛め、蛇の頭を噛み切れ、噛め!」

− そうわたしの中からほとばしる絶叫があった。わたしの恐怖、憎しみ、吐き気、憐憫、わたしの善心・悪心の一切が、一つの絶叫となって わたしのなかから迸った。ー」

(Friedlich Nietzsche、Also sprach Zarathustra III)

惰眠をむさぼっている間に、喉に入りこんだ蛇 ― ぬるま湯に浸かっているうちに陥ってしまった危機的状況。

他人には助けてあげることができない。蛇は、引っ張れば ますます強く噛みつく。

そうだ、自分で噛み切らなきゃ。自らの怠惰が招いた閉塞状態は、自分が断切らなきゃ。 どこへ逃げてもだめ。ここでぶっち切ってしまうんだ!

蛇の頭を噛み切る力が自分にあることを 思い出すこと。勇気を出して、噛み千切ってしまうこと。この智慧と勇気があれば、我々は危機を乗り越えられる。

― 男らしいニーチェの哲学は こう教えてくれます。



この牧人は「神は死んだ」と叫んだために、神にならなければならなくなった人間の姿を現わしているのでしょうね。

このニーチェが死んだのは 1900年のことでした。100年経って、われわれ人間はどれだけ蛇の頭を噛み千切ったでしょうか。

いや、今ごろやっと喉に蛇が食いついていることに気付き出したところなのかも。環境人間学部とは、「噛め!」と叫ぶ集団なのかもしれません。


「その時 牧人は わたしの絶叫のとおりに 噛んだ。

彼はしたたかに噛んだ。

遠くへ 彼は 蛇の頭を吐いた。

そして すっくと立ち上がった。

それは もはや 牧人ではなかった。

人間ではなかった。

ー ひとりの変容した者、光に包まれた者だった。

そして 彼は高らかに笑った...」

(Friedlich Nietzsche、Also sprach Zarathustra III)
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okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp 姫路工業大学環境人間学部 書写キャンパス

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