栄眞尼の

電子説法室


第35回

 『栄眞のこころの旅路(3)』

1999.09.26


早いものですね。もうこの説法室も33回目となりました。

このごろ しばしば わたくし自身の宗教体験を問われることがありました。

個人的なこころの遍歴を語ることは みっともなくて 気が引けるのですが、

まあ、一度はお話して置きましょうか。暫く聞いて下さい。(9/12)


先週・先々週、お経との出会い、神との出会いについて、少しお話いたしました。今日はその続き、「洗礼」の巻です
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17歳の10月、いよいよ明日洗礼、という日に、母親が郵便屋さんから1通の手紙を受け取りました。わたくし宛ての白い封筒の裏は「祈」という字で封印されていました。

母は わたくしに 目の前でその封筒を開けて読むように申しました。母親の勘だったのですね。−「いよいよ洗礼の日が近くなりました。お覚悟は如何ですか?」

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父も母もびっくり仰天したことと思います。そのとき母はどうしたでしょうか? 怒ったでしょうか。

それが...母は、泣いたのです。「真美ちゃんがそんなに悩んでいたのに知らなかった」と言って。これには参った。

もし母が怒っていたら、わたくしは間違いなく洗礼を受けていたと思います。その明くる日でなくてもいつか必ず。殉教者気取りで。

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前にも申したように、わたくしは辛いことがあって信仰を求めて教会へ通い出した、というのではありませんでした。はじめはただ、神のことが恐ろしかった。そして次に、神のことが知りたかった。

勿論熱心な『法華經』信者の家に生まれた子供としてはこれは逸脱した興味であったと思います。父母はせめて20歳までは教会へ行くことを延期してくれと申しました。

あのような母の姿を見たわたくしは、そうせざるを得ませんでした。父母を納得させることができるまでは、教会へ通うことはできない。それではひとりで聖書を学ぼう。父母を納得させられるようになるまで。

聖書も、おもちゃのようなロザリオも取り上げられたので、その頃からわたくしは独学でドイツ語を学びはじめました。英語の聖書は父にばれますが、亀の子文字のルターの聖書ならわからないだろうと思ったからです。

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ヨーロッパへ行こうと決心しました。商社へ入ってバリバリ稼いで、父母に立派な仕送りをしつつ、日曜には大手を振って礼拝に行こう!

そう思ったわたくしは、首尾よく、ドイツ語学科に入学し、20歳になるのを待ちました。

そして20歳をやがて迎えようとしたとき、今は亡き忘れ得ぬ人に出会ってしまったのでした。

(次週この巻最終回に続く

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okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp  姫路工業大学環境人間学部  書写キャンパス

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