栄眞尼の

電子説法室



第36回

 『栄眞のこころの旅路(4)』

1999.09.26


 

このごろ しばしば わたくし自身の宗教体験を問われることがありました。
個人的なこころの遍歴を語ることは みっともなくて 気が引けるのですが、
まあ、一度はお話して置きましょうか。暫く聞いて下さい。(9/12)

3回に亙って、栄眞と宗教の関わりに関してお話して参りました。第4回の今日はいよいよ終回となります。
* * * * * * * * * *

教会へ行く自由を得るはずの20歳を目前にしたとき出会ってしまった人というのは、村田忠兵衛先生でした。友達に誘われて出た「哲学III(東洋哲学)」、これがわたくしの一生を変えたのでした。

「世の中の富は、たらいの中の水といっしょです。あっちに傾くとあっちが多く、こっちに傾くとこっちが多く、とまあその程度のことで。」

「夜寝ることは死ぬ稽古。少しずつ稽古してやがてほんまに死ぬんですな。」

出席する度に心が軽くなってゆくような、そんな不思議な講義でした。

肺病のために、学校と名の付くものは大学しか行ってない船場のぼんぼんの講義は、実に自由闊達でした。どんなに細かい文献の話でも講義ノートを持たずにフリーハンドでおやりになりました。

結局この講義を大学2年から4年まで続けて受けて、わたくしは仏教やインドの哲学を学びたいと思うようになりました。



4年のある日、授業が終わったとき、忠兵衛先生が手招きされました。研究室にいらっしゃいとおっしゃいます。

おっかなびっくり付いて行きますと、あんたはいつも一番前の一番真ん中に坐って講義を受けている、もしこの学問に興味があるなら、ドイツ帰りの新進学者の文化史の講義に出てみなさい、とおっしゃいました。

この学者がジャイナ教の権威 奥田清明先生でした。先生は講義の後、突然「インドやってみませんか? 」とおっしゃいました。わたくしは即座に「はい」と返事をし、かくて、インド学仏教学者への道を歩みはじめることになったのでした。


こういうとなんか如何にも簡単にこの道には行ったようですが、まあその間には色々なことがありました。

何度も家へ来てくださった教会の方との問答―わたくしにはどうしても、原罪思想と、キリストが十字架上ですべての罪を贖って下さった有難味というものが理解できませんでした。

結婚しようと約束していた方との別れもありました。彼はわたくしがインド学に興味を持ったことをあまり喜びませんでした。

22歳のとき、岡田との出会いがありました。工学部をでて御坊さんになる決心をした彼に、わたくしはついて行くことにしました。



Lou Salome と同じように、いつも「自分の神」を求めていたのかもしれません。しかしもう守護神も自分の仏(守り仏)も求めません。今はゴータマのごとく、みずからが仏となることを目指したいと思います。

それは仏Buddha(目覚めた人)となることを目指す長い道のりを歩くことです。いのちの果てるまで歩いても終わらない旅かもしれません。でも、ひょっとすると明日、その道のりは終わるかもしれません。

栄眞が頭をつるつるに剃って大学に現われたら、こころの旅が果てたとお思い下さい。

ハ ハ ハ (^:^)

(この連載 了 )

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