栄眞尼の
 
電子説法室
 

第33回
 
 『栄眞のこころの旅路(1)』
 
1999.09.12

早いものですね。もうこの説法室も33回目となりました。
このごろ しばしば わたくし自身の宗教体験を問われることがありました。
個人的なこころの遍歴を語ることは みっともなくて 気が引けるのですが、
まあ、一度はお話して置きましょうか。暫く聞いて下さい。

お経との出会い
栄眞は、当時普通であったように、自宅で生まれました。その頃からお経を聞いて育ったようです。

栄眞の実家は曾祖父が僧侶でした。廃仏棄釈で神仏分離を迫られた(仏様の名前と神様の名前が並んで曼荼羅に書かれているのはけしからん、片方を消しなさい と朝廷に命じられた)とき、彼はそれを拒否し、寺を出ました。

そのあと曾祖父は、檀家総代の家に婿に入ります(なんでぇ???)そこで彼は 五人の息子と一人の娘をもうけて、家族で自分の信仰を護って行こうとしました。

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わたくしの祖父は第5子の本五郎、そして父はその末子でした。諸々の事情からわたくしの生まれたとき、うちは本家と呼ばれ、定期的に親戚中が集まって勤行がありました。

毎日 祖父が導師をして夕勤ゆうごんがあり、終わるとお数珠で頭を撫でて「かしこい、かしこい」と言ってくれました。これが済んだあと夕食でした。

方便品、自我偈を覚え、一人で回向ができるようになったのは6歳の頃です。(妹も同じ頃に覚えましたが こちらは何と4歳でした。) 覚えていることが得意で、ただ皆に褒められたい一心の小坊主でした。


神との出会い
小学校の4年生の頃でしょうか、わたくしは不思議な本と出会いました。世にはヤーフェという神がいて、これを信じないものをとんでもない目にあわせると書かれているのです。

これはえらいことになったぞと思いました。どうも、河原町教会に行ってる人たちが言ってるイエスという神様と同じらしい。エホバというのも同じだと。名前の多い神様なんだなあ。

何でも、金曜日にお肉を食べてはいけないそうだ。給食どうしよう。とても嫉妬深い神様で、他のものを拝んだら叱られるらしい。夕勤なんてしていいのかなあ。― 人知れずいろいろ真剣に悩んだ小学時代でした。
 

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それから、わたくしは「かくれキリシタン」となりました。しかもたったひとりの。神を愛していたか?と聞かれると、首を横に振らざるを得ません。ただただ神は怖い方でした。

十字架も、本物の聖書も持っていませんでした。わたくしの出会った本は少年少女世界文学全集の一冊『聖書物語』だったのです。これは旧約の物語とイエスの生涯を子供向きに書き改めたものでした。

神についてはそれ以上何も知らず、かといって毎日読むお経の意味は全く分からず、誰かわたくしにホントのことを教えてくれ! と叫びたくなることがありましたよ。

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家族の名誉のために言っておきますが、信仰以外のことで家庭において孤独を感じたことはありません。暖かな、居心地のよい家でした。

別に辛いことがあって信仰を求めたのではなかったのです。ただ神を知ってしまったというだけでした。いつもひとりで祈って、神にいろいろなことを報告しました。

神は何もお答えにはなりませんでしたが、そうすると、お数珠で「かしこい、かしこい」して頂けるような気がしていました。三つ子の魂です。
 

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教会の前を通りかかるとドキドキして、ああ 入ってみたい、と溜息が出ました。そして、ついに、17歳のとき、その日がやってきたのでした。

(次週へ 次週に続く )
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okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp    姫路工業大学環境人間学部   書写キャンパス
 
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