1999.07.05
生生生生暗生始 われわれは 生まれ 生まれ 生まれ 生まれて生の始めに暗く 死死死死冥死終 死に 死に 死に 死んで 死の終りに冥くらい (空海『秘藏寶鑰ひぞうほうやく』)
夏のはじめ、こんなに太陽の明るいときに、ふと訪れる死の予感。「わたくしは今日死ぬかもしれない」不思議でした。朝から何度もそんな感じがしたのです。昼過ぎには、妙に静かな気持ちで、「ああ、いい人生だったな」と呟きました。
その後、一瞬心がぐらついて、死ぬのが怖くなりました。肉体の疲労は精神を弱らせるのでしょうか。「怖いから、講演会に行くのやめてもう、帰ろうかな」という考えが頭を過ぎりました。
そのとき、高らかな声が聞こえたのです、「首をシャキッと起こして! 真っ直ぐ行くんだ。行くのをやめるな!」
とても示唆に富んだ講演会でした。行ってよかった、と思いました。
夕方 自宅に向って車を走らせながら、大切な人に別れを告げました。ほんとにさりげない調子で。
少し悲しいような、どこかほっとしたような、とても不思議な気持ちでした。
そして、いつものように山陽自動車道に入ったわたくしは、赤穂のトンネル事故を知ったのです。消防車、何台ものパトカー、そして、黒焦げの5ドア車、恐ろしい光景でした。
わたくしが通りかかる少し前まで、通行止めになっていたようです。いつもよりちょっと遅れて、予感も虚しく、わたくしは無事自宅に帰りつきました:「ニュースで報道があったので、あなたが巻き込まれてるんじゃないかって心配してた」と言われました。
以前「第14回 占いはお好き?−マジカルパワーの誘惑」で書いたように、わたくしは占いなんて信じない人間です。でも、世の中には人知で測れないものが沢山あることは承知しています。わたくしに 「行くのをやめるな」と命じた声は何だったのでしょうか? これがソクラテスのいう 「ダイモン」だったのでしょうか?
「川を渡ろうとしていた時、いつも僕に現われるならわしの、例のダイモンのしるしが現われたのだ。...ほんとうに、たましいとはまた、何と予感のちからをもったものなのだろうね。
現にぼくは、さっきの話をしながら、もうずっとまえから、何となく胸騒ぎがしていたのだ。」 (ソクラテス)
[参考文献] 田中美知太郎 『ソクラテス』 岩波新書 青 263 (1957初版) 戻る
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姫路工業大学環境人間学部
書写キャンパス