(1999.03.07更新)


第10回
『生命とは?− 人工的生と人工生命体
 1999.03.07


3月1日、日本で初めての脳死による臓器移植が行なわれました。提供者から心臓・肝臓・腎臓を貰った4人の人は、順調に回復しているようです。一つの命が終わる時、四つの命が救われ、生命は見事にリレーされました。 
ととい、2羽の雀が、昨日は一羽の鳩が、首をもがれた無残な姿で境内に転がっていました。穏やかな春の朝、悲しい光景でした。
岡田はヒトの死にかかわっていますが、動物の死は専らわたくし栄眞の係りになっています。飼い犬ジョンが死んだ時から始まって、床下で蛆を湧かせていたネコ、カラスに啄ばまれて墓の水入れに転がされていたヘビ、巣から落ちた小雀、蛙のミイラ、桜の毛虫 etc. 色々な動物を葬ってきました。(岡田は「怖い!」というものですから。)

栄眞も本当は怖いのです。オエッとくるのをこらえて、泣きそうになりながら、動物のお葬式をしています。結構 弱虫です。 生きているヘビや毛虫は怖くなくて、平気で触われるのに(特異体質だと言われます)、どうも 命の抜け殻、むくろは怖い。


命、生命って何なのでしょう?  死って何なのでしょう?

ヒトの死の基準が未だ曖昧であるのも、気に入りませんね。息が止まったら死である、と考えられていた時代の死の単純明解だったこと。わたくしは人工呼吸器に繋がれた生がどうにも納得できない。

人工的に活かしておかれる事など わたくしはまっぴら御免です。たった一人しか自己複製を作れなかったわたくしは、脳死して、できるだけ活きのいい臓器を何人もの人に差し上げて、命をリレーすることが夢です。わたくしの命が他の方のお役に立つなんてほんとに素敵だと思うのです。



2月22日から読み始めてまだ終わらない本 Out of Control , そこに登場する人工生命(a-life)の存在は、しかし、 わたくしの頭を混乱させます。人工的な生命体???

人工生命の創始者クリス・ラングトンは「生命とは振る舞いである」といっています。生命は動詞であって名詞でない。彼の研究会による生命の定義が上げられていますが、それらは例えばコンピュータウィルスにも当てはまります。

コンピューターウィルスは自己複製を作るパターンであり、コンピュータの代謝サイクル(CPUサイクル)を手に入れる。死ぬ事も、進化することもできる。でもこれが生きているとは思いたくない人が大半でしょう。

生命定義リストというのは皮肉なものです。そのリストを満たさないもの―例えば、ラバは繁殖できないし、ヘルペスウィルスには代謝がない。でもそれらが生きている事を疑う人はいません。



有機的な生命と機械的な生命があると考えればいいのでしょうか?人間は機械的な生命の神なのでしょうか?(なんだか頼りない神様ですね。)

21世紀はこの二つの生命の共生が実現するのでしょうか。コンピュータウィルスのスープ「ティエラ」を作ったトム・レイの言葉が妙にこころに残ります:

「私は生命をコンピュータにダウンロードしたいのではない。
 コンピュータを生命にアップロードしたいのだ」
(2枚の写真は共に『「複雑系」を超えて』*より)
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[ 参考文献 ]   立花隆 『脳死臨調批判』 中央公論社 1992年  \1200
                    *ケヴィン・ケリー (アスキー出版局 1999.2.10) \4800+

okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp     姫路工業大学環境人間学部     書写キャンパス
 

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