第9回
『母が一人子を護るように』
1999.02.28
もうひといきで春。そんなときほど大風が吹いたり、冷え込んだり。
でも、すりガラス越しに揺れる緑が、光を受けて明るくなって来るこの頃
昔からわけもなく胸騒ぎを覚えていたのはわたくしだけでしょうか。
生物学をやっていた妹は「ホルモンのバランスが崩れるから」と
こともなげにいうのですが。
そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても
無量の慈しみのこころを起こすべし
(スッタニパータ8章149偈)
仏教の説話集ジャータカの中には、食べ物に困って、子供が親に自分の身体を食べるようにいう話があります。
一般に、親か子かどちらを取るかというとき、インドゲルマンでは、親を取ったようです。(ヘンゼルとグレーテルも実の親に捨てられるのがオリジナルでしたね。) 子供はまた産めばいいというように。
わたくしが我が子を護るのは、理屈ではない、この身体を貫くような「可愛い」という感情が子供に対してあるからです。子供が傷つけられたら身を切られるような痛みを感じます。
妹が小さい時、それに似た気持ちがありました。ガキ大将が妹を泣かしたとき、皆に怖れられた彼を殴りつけたことがありました。(けいちゃん 痛かっただろ)
利己的なDNAがそうさせている? そうなのかな。それなら、出来の悪い子ほどかわいい、ということは起こりませんよね。いい子だけ可愛がるはずでしょ?(そうでしたよね、RH+さん。)
それに、この我が子がいとしいと言う気持ちは、他の子を排除するかというとそうではないのです。勿論我が子に対するよりは小さいでしょうが、フラクタルな気持ちを他の子に対しても抱いています。
そして、みかえりを求めない、母や神の愛がアガペーだ と習ったけど、ほんとう? エロースもアガペーも実はそんなに変わらないんじゃないの?と栄眞は思い始めています。
持続する恋はやはり自分の身を犠牲にしても相手の幸せを実現したいと思うものです。恋のために死ぬ人だっています。
母が我が子を、神が信徒を愛する時、母は我が子に、神は信徒に、絶対的に愛されているではありませんか。(そして、また逆も。) こういう満ち足りた関係なら、愛する方も当然 気前よくなりますよね。
満ち足りている時の愛がアガペー、自分の方が沢山愛しているんじゃないかと不安で、満ち足りない時の愛がエロースだというと、パウロに蹴飛ばされるかな?
それにしても、わたくしのような愛情濃い女に愛される人って幸せですね.
ええ? 悪女の深情け? 誰だ、そんなことをいうやつは!
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[ 参考文献 ]
中村元訳 『ブッダのことば』 岩波文庫 青