総 合 学 習「吉 井 川」
「妙伝川流れ」 岡 田 文 弘その1 福岡の章
岡山の南部に 長船(おさふね)という町がある。
長船には 福岡というまちがある。昔は市のたつまちとして栄えていた(国宝 『一遍上人聖絵 福岡の市』)が、今は田園の広がる田舎で、妙興寺が有名である。ぼくはこの寺の跡継ぎである。
この街の近くには、吉井川という大きい河が流れていて、この川と福岡のまちには密接な関係がある。
昔は、3本の川筋があった。その中州に町が出来て長船町のもとになった。そして、やがて堤防が出来、川は1本になっていった。
川のほとりの小高い岡(いなり山)に <ヤマシロ>という異名を持つ福岡城があった。クリック......................... この城は 川にはさまれて大変攻めにくく、多くの武士がねらっていた。よって戦が多かった。
中でも一番すごい戦いは、50日も続いた。この時は敵が6,000、迎え撃つこちらは2,000。
この戦いは 無茶苦茶道断 血液放水 人生破滅 爆撃完了 ― とでも言えばよいのであろうか。
「かぁーかれぇ!」
DA DA DADA DA DA DA DA DA DA DAいなり山の頂上へ向って敵軍が攻めて行く。
「我こそは ― グハッ!」
たくさんの首が飛んだ。
「死んでもここを守るべし」
ぐっと拳を固めてみても首が吹っ飛ぶと ぱたりと倒れてしまう。
結局は敗れて福岡城は乗っ取られた。
今では その古戦場もゴルフ場となり、首の代わりにボールが宙を飛んでいる。....................... (この戦いの詳細は 次回連載 片山飛鳥の「福岡の書」を参照のこと)
写 真:福岡史跡保存会パンフレットよりカット:岡田 文弘
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