ジャック・ド・ヴォーカンソン(2003年12月執筆)
連作漫文『文弘風雲児列伝』の第三章。考えてみれば、僕がジャック・ド・ヴォーカンソンについて書いたほとんど唯一の文章である。
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一時期、たぶん小学校の低学年頃であろうが、僕は空き箱を材料に使って工作をするのに熱中していた。家人は僕のために、空っぽになった饅頭の箱、入浴剤の箱、サランラップの箱(および、芯)などを捨てずに、食堂の横に備えつけられた棚へ置いていてくれた。僕は学校から帰るとそこへ飛んで行って手頃な箱を選んで部屋へ持ち帰り、ハサミで切ったりセロテープで貼ったり、マジックでぬったり竹串を刺してたりして、ロボットや何かをセッセと作っていた。
「旅の宿」という入浴剤の箱は最も加工しやすかった。岡山名物の大手まんじゅうの箱はどうしてもセロテープがはりつかず(表面が粉っぽかったのである)使い物にならなかった。(別に大手まんじゅうを悪く言っているわけでない。僕の好物のひとつである)
僕は工作が大好きであった。そして、動く機械仕かけの人形に、大いに興味を持っていた。
その頃の僕は、「からくり人形」に非常に関心を持っていた。つい先日、本の整理をしていたおりに、昔読みふけっていたからくり人形の研究書が2、3冊出て来て、「アァそう言えばこういうモノにも夢中になっていたのだなァ俺は」としみじみ見入ってしまった。
もしもこの世にブンガクというものがなくて、もしも僕にももう少し理系の才能があったとしたら、僕は確実にからくり人形職人になっていたことだろう。
からくり人形で一番有名なものは、やはり「茶くみ人形」であろうか。これは別名茶運び人形とも呼ばれる。この人形は、湯のみを乗せたお盆をカタカタカタカタと運んで来る。湯のみを取ると、ピタリと静止する。飲み終えて湯のみをお盆の上へもどすと、クルリと方向転換してカタカタカタカタと戻っていく、という、実に粋な人形で、これが1家に1台あれば世の中もっと明るくなろうものに、と思えるほど見事な一品である。
しかし茶くみ人形もいいが、僕が自信を持って最高のからくり人形として挙げるのは「弓射り童子」である。この人形は、読んで字のごとく、弓を射る人形である。人間と同じように、矢をつがえ、キリキリと引き、そして飛ばす。さすがにこれだけの動きをするには相当なからくりを要すると見えて、茶くみ人形のように人形本体の中に仕かけがしてあるのではなく、たくさん歯車やらゼンマイをしくんだ台座の上に人形がのっかっている、という格好になっている。つまり、台座の中で色々としかけが動き、それによって上の人形を動かしているわけだ。
さて、面白いのが、この台座は、歯車の1部が見えており、その見えている歯車と連動して手が動く、小さな人形が作りつけられている。すると、本当は歯車が回転することで人形の手が回っているのだが、一見したところ、この小さな人形が歯車を回しているように見え、つまり、小さな人形が台座の中の機械を動かしているように見えるのである。実に洒落ているではないか。
僕は幸運にも、(どこで開催されたのかは忘れたけれども)からくり人形の展示会へ行った時に、復元された弓射り童子を見たことがある。復元には相当苦労したそうである。
驚いたものだ。僕はそれまで「ゼンマイ人形だもの、矢をとばすのだけで精一杯だろう」と思っていた。甘かった。弓射り童子の飛ばした矢は、的のどまん中へ、ずぶりとつき刺さったのである!
まず、見事ど真ん中に命中させたことがアッパレである。それに、単に命中しただけではなく、ちゃんと刺さっているのが見事である。くわァ、すげェなァ、と僕は本気で感動しつつ、人形に向かって熱い拍手をおくったことを覚えている。
2
十八世紀、世洋でからくり人形、自動人形の類いが次々と作られた。有名なところでは、エドガー・アランポーの小説にも登場したというケンペレン作のチェス人形、(これは中に人が入っていたということが後年暴かれてしまったけれども)、ジャケ・ドロス(あまりに見事な自動人形を作るので悪魔に違いないと疑われ、宗教裁判にかけられた挙句死刑になりかけたという)の筆写人形など。
ところで、僕が昔読んだ本で、「ロボットの定義」が論じられていて、その時に、時計がついていて卵がゆで上がると音を出して知らせる鍋と、この筆写人形とが比較されていた。それによると、ゆで卵鍋はロボットで、筆写人形はロボットでない、という事だった。ロボットは自分で判断をし動くモノである。ゆで卵鍋は、一定時間がきた事を判断して音を出しているので、立派なロボットである。しかし筆写人形はただ単に機械じかけによって自動的にペンを動かしているにすぎず、たとえインクがきれたとしてもそのまま運動を続けるであろう。単に人間の形をしていても、判断というものができず、しかけによって単に決められた行動を自動的にくり返すだけしかできないものは、人形にすぎない、と。
僕はこの解釈ははなはだ不満である。ゆで卵鍋の方だって、ヤッパリプログラムされた情報にそって時を知らせているだけであるわけで、筆写人形と大差ない気がする。
それに筆写人形の方が夢がある。勝手な印象批評だが。
さて、この手の自動人形の職人で、伝説の人といえば、それはもうジャック・ド・ヴォーカンソンにとどめをさす。
ジャック・ド・ヴォーカンソンは1709年にフランスで生まれた。まず彼は時計に興味を持った。幼い頃から発明の才能があったという。彼は26才でパリへ出て、解剖学と力学を勉強した。
ところで、二元論の思想の中のひとつに、生命の機械論というものがある。減茶苦茶に平たく言うと身体・肉体というものは一種の機械である、とする論理である。
ヴォーカンソンはこの思想に非常に感銘を受けた。発明の才があり、しかも、解剖学と力学を学んでいたわけで、彼が生物の身体を機械によって再現してみようと思ったのはしごく当然のことであろう。
ヴォーカンソンはその後、工場の監督として機械の研究を進め、世界初の力織機のモデルを制作したり(このモデルはその後、パリ工芸学校でほったらかしにされていたが、ジョゼフ・マリ・ジャカールなる人物が再評価し改良した。その結果出来たのがジャガード機であり、これが産業革命におけるひとつの起爆剤となることになる。する傍ら、自動人形の操作を生み出すことになる。
※
ヴォーカンソンの作品で有名なものに、笛吹き人形という自動人形がある。呼んで字のごとく、笛を演奏するからくり人形である。しかしこれが実にたまげた代物なのだ。
普通、楽器を演奏するからくり人形は、人形自身が楽器を奏でているわけではない。人形そのものは、単に楽器を奏でるしぐさ(指を動かしたり、頭をふったり)をしているだけで、音は別の音源装置から出ている。だがこのヴォーカンソンの笛吹き人形は違う。人形が、実際に笛を吹くのである。つまり、人形が、笛の中へ息を吹きこみ(しかも出す音によって吹きこむ強さを変え)タンギングをし、人間がやるのと同じように笛を吹くのである。
まさに驚嘆に価する人形である。僕など凡人であるから、どうやって息をしていたのかすら見当もつかぬ。やはり、ふいごのようなものを使ったのであろうか。しかし、微妙な音色を出すにはやはり微妙な息づかいが必要であるし、しかも舌(これもまた微妙な動きが要求される)や指も動かすわけであるから、その上単に動かせばよいわけでもないわけで、一体どんなからくりでこれらの複雑な動作をなしとげていたのか。想像もつかない。
もうひとつ、もはや伝説と化している、有名な自動人形がある。名高い「ヴォーカンソンのアヒル」である。
ヴォーカンソンのアヒルとは、「生きたアヒルと寸法違わぬモノを目指す」というコンセプトのもとに制作されたアヒル型の自動人形である。この、運命のいたずらで卵からは生まれなかった金属製のアヒルは、エサをついばみ、水を飲み、羽ばたき、ガーガーと鳴きわめき、そしておそるべきことに食べた物を消化してフンまでするのである。
僕などは、初めてこのアヒルのことを知った時には腰をぬかさんばかりに驚愕したものだ(どうも、ジャックには驚かされっぱなしである)。どこをどうすりゃ、そんな人形が作れるのだ?
いまだ僕には、そのアヒルがどうやってフンをしていたのか、皆目予想すらつかない。内部図解を見ても、なんだかウネウネとチューブが折りたたまれているのが見えるだけで、ため息が出るばかりだ。
アヒルのフン、一体それはどこからやって来る?
(付記:本稿脱稿後、フンの出所が判明した――敢えて書かない。)
3
産業革命が産声をはり上げ、実用的な機械が発達していくのにつれ、自動人形の文化は潮が引くように急速に消えてゆく。機械がいかに人間らしく字を書いても、ピアノを弾いても、誰も見向きもしなくなった。売れる商品を大量に生産する際の手助けとなる装置を作り出すことにのみ、衆人の興味が集まった。まるで時代の波にさらわれたように、ヴォーカンソンが生んだ子供達は彼の手元を離れ、ドサ回りの芸人に売り飛ばされた。「笛を吹く少年」と「アヒル」はヨーロッパ中の見世物小屋を回り、旅が終わる頃にはぼろぼろになり、壊れ果て、捨てられた。そんなわけで、ヴォーカンソンの人形はほぼ全てが消失してしまった。しかも設計図も残っておらず、復元も不可能である。ただ、「このように動いた」「こんなふうな人形だった」という証言だけが、下世話な伝説のような形で今に伝えられているにすぎない。従って、笛吹き人形の実体がいかなるものであったか、本当のところは永遠の謎なのである。十七世紀と十八世紀の間のひずみに落っこちてしまった寡黙なフルート奏者は、まるで白昼夢のような奇跡だった。
唯一、現存しているのが、鉄屑に成り果てた「アヒル」のスクラップである。「アヒル」は頸を項垂れたまま、錆付いた体を捻じ曲げるようにして、ガラスケースの中に閉じ込められている。このガラスケースは彼の棺であろう。もう二度と動き出すことの無いアヒル。
「生まれなかった」アヒルだというのに、どうして「死んで」しまったのだろう。
考えてみれば、自動人形の文化というものは、産業革命前夜の、急速に機械技術が発達していく過程があったからこそ生じたものであるのかもしれない。産業革命によって生まれ、産業革命によって粉砕された、どうしようもない文化だった。ヴォーカンソンが力織機のモデルを作り、産業革命の種子をまいていたこと考えるにつけ、産業革命と表裏一体で存在していた自動人形文化が浮き彫りになってくる。産業革命があったから、自動人形文化が生まれた。産業革命があったから、自動人形文化が終わった。本当にどうしようもない文化だった。
必ずや、このように考える人もいるだろう。人間の生活を豊かにしてこそ、機械技術の進歩は意味を持つ。自動人形なぞは、生活と関係のない、全くのナンセンスな玩具に過ぎない。排泄するアヒルのオモチャが何の役に立とうか。実用的な機織機にこそ価値がある。従って、自動人形のごとき無意味な遊戯は歴史から消えて然るべきだった、と。
しかし、僕はそう思いたくない。思いたくないのだ。
本当に意味のあるものとは何なのだろうか。
そして、現実主義者と称する者たちが言うところの「意味」とは何なのだろうか。
人はパンのみで生きていけるのだろうか。
人は花を見る、小鳥の歌を聞く、そして星を眺める。
そんなことを一切しなくても生きていけるというのに。
花や小鳥の歌や星を愛することに、何の実用性があるのだろうか。
けれども人は花を愛し、小鳥を愛し、星を愛し、そして実に様々なものを愛するのだ。
人生をデータ化して、そこからはみ出す要素が「幸せ」だ。
アヒルを愛用の長物とする人は、それを切り捨てているのと同じような気がする。
4
たったひとつだけ、アヒルのあまりにも虚しい末路に関しての肯定的な意見がある。
ヴォーカンソンのアヒルは、「生きている」ことを目指して作られた。生きたアヒルと同じようにエサをついばみ、水を飲み、羽ばたき、ガーガーわめき、フンをたれる。「生」に限りなく近づく、人の手で「生」を作り出す。それがアヒル制作の意図するところだった。
さて、「生きる」ことに、絶対に不可欠な要素がある。それは「死ぬ」ことだ。行きとしいける者はみな死ぬ。「死」は、「生」の対極ではない。「生」の一部、それも非常に重要な要素として存在しているのだ。
「アヒル」は、スクラップとなり、壊れ果て、変わり果て、哀れで傷ましい残骸になり果てることで、「生」の最重要要素である「死」を実践したとも言える。生きたアヒルに憧れた、機械じかけの悲しきアヒルは、無惨にも壊れてしまった時、ようやっと「生き物」として完成したに違いない。
―――そうでも思わないと、やりきれない。
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