1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。
第44回 1999.12.26 「3000年紀の幕開けです」
本日0時をもって、2000年紀は終わり、3000年紀が始まりました。
栄眞は、昨日のクリスマス、息子と共に、とても愉快なかまたちと、45年の人生でもっとも賑やかなクリスマスの日を過しました。さすがに くたくたに疲れて、夕食後寝入ってしまって、起きたら夜中に近くなっていました。
でも、この宵寝のお蔭で クリスマス・ミサ中継を観ることができました。
青空のもとにモミの木の広がりて 君なき千年紀の始まれるかな
新しきミレニアムを迎えるというのは、文字どおり千載一遇、千年に一度のことです。
新しいミレニアムを迎えた今朝、抜けるような青空を見上げて、思わず上の歌を口ずさんでしまいました。
神亡き時代と呼ばれる現代を思いつつ。
実は これは、さる高名な歌詠みの作品** のパロディーです。
真夜中、バチカンのクリスマスミサ中継を観ました。2000年紀が始まった時には、日本でローマのおミサが見られるなど、誰が予想したでしょう。
3000年紀が終わる時には、テレポーテーションで、おミサの場にいられるようになっているのでしょうか?
それとも、もう、カロン* が最後のヒトを渡した後?
ヨハネ・パウロII世のクリスマスのお説教を聞いていて、クリスチャンにとって、「神がヒトとなってこの世に出現した」ということが 如何に大きな意味を持つようになっているのかをよく感じとることができました。神が、天にいらっしゃるだけでなく、この世に、ヒトとして、わたくしたちと同じように、ひとりの母からお生まれになったということ、
そしてわたくしたちと同じように、痛みを感じながら死んで行かれた、ということ。
その意味することの大きいこと。
これはユダヤ教の神と徹底的に違うところです。
ブッダ、孔子、イエス、マホメット それら「世界宗教」と呼ばれる偉大な教えは 皆 ヒトの説いた宗教でした。
さて、1000年前、2000年紀が始まった頃は、日本でも末法世といわれていました。
その不安のなかで、浄土教が隆盛となってゆきました。この世がだめならあの世があるさ、というわけです。
日本では、末法は1万年続くとも言われ、その後はいよいよ法滅、教えが滅びる時とされています。
これが ヒトの寿命でしょうか。いや、しかし、ヒトは寿命をまっとうできるでしょうか? 少し心配ですね。
今回は、今年最後の説法室となりました。一年間ご愛読ありがとうございました。あと3ヶ月、宗教人間学開講まで、この連載は続きます。
どうぞ、来年もご贔屓に。
*カロン:西洋の三途の川の渡し守
**本歌は「青空のもとに楓のひろがりて 君なき夏のはじまれるかな」(与謝野晶子)
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