1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。
第43回 1999.12.12 「さびしさに堪へたる人の」
《ガブリエル先生》は日本でも数少ない修道院研究の専門家です。そのご著書『修道院』はウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読む時の手引きとして、側に置いていたことがありました。
子供夢会議で説法室をお休みし、東京主張でまたお休みしました。今朝 未整理箱に溜まっている書類の山と格闘していたら、ノートルダム清心の《ガブリエル先生》からお電話がかかってきました。
これは何かのしるしだな、と思って、書類を箱に戻して、《ガブリエル先生》のご高著『修道院』を久々に取り出して ページをめくってみました。
日曜は心静かに神や仏の〈教え〉を思わなければね。
さびしさに 堪へたる人の またも あれな 庵ならべん 冬の山里 (西行)
この秋、ふらりとお邪魔した ある講演会のあとの 小さな集まりで 栄眞は この先生と同席しました。それがあの先生であることに気づいたわたくしは、思わず声をお掛けしてしまいました。(ミーハーだなあ、全く)
暫くして、《ガブリエル先生》が メールを下さったときには、感激しました。
上記の西行の歌はこの《ガブリエル先生》の『修道院』のエピローグにあったものです。
西行といえば、この秋は不思議なご縁が続き、『西行の風景』の著者 《ヴァルデス先生》に「ホームページ見ました」という突然のメールを戴くという事件がありました。もともと ご著書を通して《ヴァルデス先生》の環境観に非常な共感を覚えていた栄眞でしたが、東京のゼミをお訪ねして 親しくお話してからは すっかり先生のファンになって帰って参りました。
さて、上の歌をみると西行も「さびしさに堪へて」修行をしていたようですね。「音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように 犀の角のようにただ独り歩め」ブッダの「犀角經」にある言葉です。本来修行は孤独なものです。(スッタニパータ 71)ところが、この孤独な修行を続けていると、あるとき 同じような修行者に会う僥倖もあるものです。
「もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、彼と共に歩め」 (スッタニパータ 45)かくしてこの秋、奇しきご縁で2人の優れた学者と巡り会うことが出来ました。西行のように「庵をならべ」というわけには参りませんが、このご縁を大切にして、しばし共に学問の道を歩めれば、と希っています。暮れまでにそれぞれの先生にもう一度お会いできそうです。ドキドキ・ワクワクするような1900年代のお終いですね。
われらは実に朋友を得る幸せを讃め称える
自分よりも優れ あるいは等しい朋友には
親しみ近づくべきである。(スッタニパータ 47)
[参考図書] 朝倉 文市 『修道院』 講談社現代新書1251 (講談社1995) \650桑子 敏雄 『西行の風景』 NHKブックス (1999 品切れ再版中)
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