栄眞尼の
電子説法室

1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。

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第38回 『滅することは安楽である』
1999.10.17

インド学・仏教学の泰斗 中村 元(はじめ)先生が1999.10.10 お亡くなりになりました。

25年まえNHK教育テレビの「宗教の時間」を見て先生のファンになりました。

わたくしの一生の道を決めさせた方のお一人でした。 合掌。 在りし日のお姿



「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。

わたしは あらかじめ このように説いたではないか

― すべての愛するもの・好むものからも別れ、

離れ、異なるに到るということを。

およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきもので

あるのに、それが滅びないように、

ということが、どうしてあり得ようか。」


(ゴータマ・ブッダ)

ゴータマ・ブッダの若き従者アーナンダは、お師匠さまの死に臨んで、戸の横木によりかかって、泣いていました。

彼はゴータマの側にいて、一番たくさん教えを聴く機会に恵まれていたのに、このとき、まだ覚っていなかったのだそうです。

これからまだ学ばねばならない、なすべきことがあるのに、お師匠さまがおなくなりになってしまう、と思って、彼は涙にくれていたらしいのです。

ゴータマはアーナンダを呼びにやらせて、上の言葉をおっしゃいます。そして「アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努め励んで修行せよ」とお諭しになりました。



ゴータマが亡くなって「まだ愛執を離れていない若干の修行僧は、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のようにうち倒れ」てしまいました。

しかし、「愛執を離れた修行僧らは、正しく念い、よく気をつけて、耐え忍んでいた」そうです。



昔 わたくしは、このことを、中村元先生のお訳しになった『ブッダ最後の旅ー大パリニッバーナ経』(岩波文庫 青 325-1)で知りました。

11年前 父が亡くなる時、わたくしは繰り返しこの經を読みました。臨終から葬儀の終わるまで、わたくしは涙をこぼしませんでした。いいお葬式を出してやることが出来ました。

でも、お棺に横たわられた中村先生のお顔を見た時、わたくしは、不覚にも落涙してしまいました。先生、わたくしはまだ、生死の理がわかっていない未熟者のようです。


心の安住せるかくのごとき人には すでに 呼吸がなかった

欲を離れた聖者は やすらいに達して 亡くなられたのである。

ひるまぬ心をもって 苦しみを 耐え忍ばれた。

あたかも燈火の消え失せるように、心が解脱したのである。


(『大パリニッバーナ経』)
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okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp 姫路工業大学環境人間学部 書写キャンパス

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