(デ・メロ 「幸福を邪魔するもの」)
ある人が「感謝知らずの女が」というのを聞いて、ドキッとしたことがあります。喜ばれそうなお店を選んで、席を取って、メニューも決めて、お勘定もして、家までお送りして...でも「男がするのは当たり前でしょ」 って彼女は思ってる。
男は 彼女のために ガイドブックを買い、嫌いな電話をし、独りの時は一生懸命倹約してお金を作り、寝る間も削って時間を作っているのです。
それでも彼女は「男だもの、当たり前よ。あなたが逢いたいんでしょ。」
これじゃ、いくら気のいい彼だって、虚しくなる時がありますよね。
感謝知らずの女って不幸ですよ。何をしてもらってもそんなに嬉しくないのですもの。いつもそれが「当たり前」になっていれば、何の感慨もわきません。例えば、こうやって息をしているのを「ああ幸せだ。わたくしは息ができる」なんて思っている人がいるでしょうか? でも、これって すごく幸せなことなんですよね。
肺の動脈を侵された人を見舞って思いました ―「この人は もう 胸一杯に息を吸い込むことが出来ないんだ。いつも途中までしか吸えなくて、どんなにか苦しいことだろう」
病院を出て、夏の名残り、秋のはじめの透明な空気を、胸一杯に吸いました。自分ひとり吸ったことを後ろめたく思いながらね。息をするのは ほんとに気持ちのよいことでした。
それは申し訳ないことでしたが、お蔭で わたくしは、息をしていることを意識するだけで、少し幸せになれました。「当たり前」のことって、それを失うまでどんなに有り難いことなのか、分かりません。持っている時には何も感じない。でも、当たり前のことほど、失った時の痛手は大きいものです。
幸せなんてそんなものじゃありません?なんでもないものがここにあることを意識して、ああ有り難いな、って、そう、「有り」「難し」と思える時にしみじみ感じられるもの、それが幸せなのではないでしょうか。
感謝知らずの女の人生には、だから、不満と倦怠しかないのですよ。美人なのに憂鬱なあなた、御用心、御用心。
[参考文献] 『幸せの条件 アントニー・デ・メロ師の黙想書』 (エンデルレ書店 1994)¥1900 戻る okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp
姫路工業大学環境人間学部
書写キャンパス