1999.08.08 「曠野の旅の道連れのように、乏しい中から分かち与える人々は、 死せるものの間にあって滅びない。これは永遠の理法である」(サンユッタ・ニカーヤ*)
答えー サリーの洗濯ですよね。彼女たちはマザー・テレサの修道会<神の愛の宣教者たち>のシスターたちです。この写真は、朝の日課の洗濯風景です。*パーリ語聖典の四阿含の一つ。相応部経典と呼ばれる。
これはどこの国だと思いますか? − そう、インドです。 クイズ:これは 一体 何の風景なのでしょう? 身につけたサリーと洗っているサリー、専用の洗濯バケツ ー シスター達の個人的所有物は、これらの他には、信心書があるぐらいです。
3本の青い線の縁取り
があるサリーは修道会
の正式のシスターの制
服です。左肩にはピン
で十字架がとめられて
います。このシスター
たちは「清貧の誓願」
の他に「貧しい人のた
め報酬をうけずに心か
ら仕える」という最終
誓願を立てた人々です。
「持ち物が少ないほど多く与えることができます」とマザー・テレサは語りました。(沖 正弘 撮影)さきほど、シスターのサリーを個人的所有物と言ったのは、適切な表現ではなかったかもしれません。むしろ「専用使用物」とでもいったほうがよいかと思います。
彼女たちは、何も持たず、しかも、貧しい人々に、多くを与えつづけています。なんと富んでいる人々なのでしょうか。
栄眞にも 我が子に残せる財産など 何一つありません。我が家族は、家も、土地も持っていませんから。そのかわり、財のために心を煩わせることもなく、実に安らかに暮らしています。
財をもたないこと。少なくとも、財を増やそうとあくせくしないこと。それによって、わたくしたちは 驚くほど豊かで、自由になれるのです。
「私達にとって、清貧とは自由を意味しています。全き自由です。 神の愛の宣教者たちが所有しているものは、財産として ではなく、使用しているものとしてのみあるのです。 身にまとっているサリーも私達のものではありません。 使っているだけです。 足に履いているサンダルも同様です。 使っているだけなのです。」 (マザー・テレサ)
[参考文献] 沖 守弘『マザー・テレサ あふれる愛』講談社1981 ¥1500 『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』PHP研究所 1997 \1170 戻る
okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp
姫路工業大学環境人間学部
書写キャンパス