栄眞尼の
 
電子説法室
 

第28回
 『プァ・イズ・ビューティフル』
1999.08.08

曠野の旅の道連れのように、乏しい中から分かち与える人々は、
 死せるものの間にあって滅びない。これは永遠の理法である」
(サンユッタ・ニカーヤ*)

*パーリ語聖典の四阿含の一つ。相応部経典と呼ばれる。

これはどこの国だと思いますか? − そう、インドです。
 
クイズ:これは 一体 何の風景なのでしょう?
 
答えー サリーの洗濯ですよね。彼女たちはマザー・テレサの修道会<神の愛の宣教者たち>のシスターたちです。この写真は、朝の日課の洗濯風景です。

身につけたサリーと洗っているサリー、専用の洗濯バケツ ー シスター達の個人的所有物は、これらの他には、信心書があるぐらいです。


3本の青い線の縁取り

があるサリーは修道会

の正式のシスターの制

服です。左肩にはピン

で十字架がとめられて

います。このシスター

たちは「清貧の誓願」

の他に「貧しい人のた

め報酬をうけずに心か

ら仕える」という最終

誓願を立てた人々です。

(沖 正弘 撮影)

「持ち物が少ないほど多く与えることができます」とマザー・テレサは語りました。

さきほど、シスターのサリーを個人的所有物と言ったのは、適切な表現ではなかったかもしれません。むしろ「専用使用物」とでもいったほうがよいかと思います。

彼女たちは、何も持たず、しかも、貧しい人々に、多くを与えつづけています。なんと富んでいる人々なのでしょうか。


栄眞にも 我が子に残せる財産など 何一つありません。我が家族は、家も、土地も持っていませんから。

そのかわり、財のために心を煩わせることもなく、実に安らかに暮らしています。

財をもたないこと。少なくとも、財を増やそうとあくせくしないこと。それによって、わたくしたちは 驚くほど豊かで、自由になれるのです。


「私達にとって、清貧とは自由を意味しています。全き自由です。
 
神の愛の宣教者たちが所有しているものは、財産として
 
ではなく、使用しているものとしてのみあるのです。
 
身にまとっているサリーも私達のものではありません。
 
使っているだけです。
 
足に履いているサンダルも同様です。
 
使っているだけなのです。」
(マザー・テレサ)

[参考文献]
沖 守弘『マザー・テレサ あふれる愛』講談社1981 ¥1500
『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』PHP研究所 1997 \1170

戻る
 
okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp    姫路工業大学環境人間学部   書写キャンパス
HPひよこの歩みご一緒にいかが岡田真美子とは何でもQ&A研究紹介リンク集