1999.08.01
「 バラや百合の花はたしかに綺麗だけれど、世界中にバラや百合しかなかったらどうかしら? すみれや ひな菊のような
小さい花があるからこそ、世界は美しいのでしょう」
(*マリー=ポリーヌ・マルタン)
* リージュの聖テレーズの12歳年上の姉。32歳のときカルメル会の修道院長になった。 リージュの聖テレジアは1873年フランスに生れ24歳でこの世を去った聖女です。 彼女は 夜ねるまえに、いつも その日作った小さい花のブーケを思い浮かべていたそうです。
小さい花のブーケ?テレジア11歳の頃、 初聖体に備えて、長姉マリーは1冊のノートを彼女に与えました。初聖体の日 神に花束を贈るために。
「今日から花束を作りましょうね。どれだけ綺麗なお花が摘めるかしら」マリーは、神への愛のために 何か したら、それをノートに書きいれるように、と言いました。
「どうやって摘むの、お姉さま?」どんな小さなことでもいい。神に捧げる犠牲、神に捧げる仕事をすること、それが小さな花を摘んで花束にするということでした。
テレーズの初聖体の日までには、このノートは一杯になっていました。
その後も テレーズは 毎日 神に捧げる花束を作りつづけました。
従順を守り、やりたくないことを、いかにも楽しそうにすること。
他人を楽にするために、いかにも自分が望んでいるように 嫌なことを引き受けること。
何事にも不平を言わないこと。
どれもが、目に見えない可憐な小さい花に変わっていくことを彼女は信じていました。
彼女はいつも快活でした。しかし、その最期は普通の人には忍べないほどの苦痛に満ちたものでした。喀血に次ぐ喀血。呼吸困難。身体を貫く激痛。
臨終の苦悶のあと、再び目を開いたテレーズは、「ほほ笑みのマリア」の像の少し上をじっと見たそうです。その目に一瞬驚きが宿り、それが感謝と喜びに変わりました。
そうして、テレーズのこの世の生は終わりました。そのとき彼女は、しあわせそうに微笑んでいたということです。
突然 話は変わります。夏休みになって 息子はいつもより30分早起きを し始めました。6時にラジオ体操の会場へ行くのです。といっても、拙寺の境内ですが。ボーッと境内にいる息子を見つけた若いお上人様は「なにをそんなところでボーッとしている。時間の無駄だろう」と叱りました。「なんでそんなことしてる?」
おろおろと息子は言いました「小学校に入ってから、ずっとラジオ体操 1番乗りをしていました。今年は最後の年だから...あのー...やっぱり最後まで一番乗りがしたいと思って...」
「馬鹿馬鹿しい」と怒るお上人さまと、泣きそうな息子の間に入って、栄眞は なんとか とりなそうとしました:
「じゃ、やってみましょ。そのかわり、境内のゴミを拾ったり、草を抜いたりしてみんなを待つのよ。それができるなら、6時に出ていってもいいわ、ね、お父様?」
息子はとても嬉しそうに「そうします」といって、再び飛び出して行きました。
そのあと、3日間降り続いた雨と吹き荒れた風のお蔭で、境内が銀杏の葉っぱまみれになったことがありました。「ああ、明日の朝は大変」皆げんなりして眠りに就いたのですがー。
栄眞が目覚めた朝、境内には、すがすがしい銀杏の小山が幾つも出来ていました。それは、いつもより、更に早起きした息子と、そのあと起きた若いお上人さまが掃き清めたあとでした。
Guter Wille 善き意志を 踏みにじらないこと。先輩修行者としてした小さな導きが、息子に小さな花を摘ませたことに、そのとき栄眞は 大きな喜びを感じました。
息子は、今 聖テレジアが初聖体をした歳と同じです。幼い頃から、多少抜けてはいるけれど、何か聖性の感じられる彼を、栄眞は尊いと感じることがありました。母親のエゴで、この小さいお上人さまには、若いお上人さまのような一人前の大人になって、古いお上人さまのように長生きしてもらいたいと思います。
でもきっとこの小さいお上人さまは、いつまでも聖テレーズのように「幼児の道」を歩むであろうという予感がします。「聖なる愚か者」それが栄眞はすきです。
「わたくしは、先のことを考えると、恐ろしくて進めなくなります。 過去のことを考えるとがっかりしてしまいます。 今 この時を 精一杯 生きたいの。 今このとき、精一杯愛して生きるの」 ( リージュの聖テレーズ)
[参考文献] やなぎや けいこ『イエスの小さい花』ドン・ボスコ社1996 ¥750 戻る
okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp
姫路工業大学環境人間学部
書写キャンパス