1999.07.25
「死は〈この 今 意識している自分〉が消滅することを意味するのだ と気がついた時に、人間は愕然とする。これは恐ろしい。
何よりも恐ろしいことである。身の毛がよだつほど恐ろしい」
(岸本英夫*『死を見つめる心』)
* 岸本英夫という人は、東大で教鞭を執っていた宗教学者です。彼は悪性皮膚癌を患い、上の文章を上梓した1964年、この世を去りました。5月の1年生への講義で言ったように、わたくしたちは一人の例外もなく、死にます。他人が亡くなったのをみて「まあ、お気の毒に」と思いますが、自分にだって、その順番は 必ず 回ってきます。普段 平静に生きていることができるのは、他人事ひとごとじゃない死を 実感しないでいられるからです。
この平穏な日常性にふと 生じた 隙間 − 親しい人の死、自らの篤い病、それがわたくしたちに死の恐ろしさを思い起こさせます。上の岸本英夫の言葉はそうして出てきたものです。
同じく死と向き合いながら、全く別の思いで それを受け入れた人の話をしましょう。
ダニエルは、ALS筋萎縮性側索硬化症に罹っていました。全身が麻痺し、自分の考えを表現する術は、瞬き と 唯一自分で動かせる左手の人差し指で操作するコンピュータだけでした。目を閉じると「ウィ」、開けたままなら「ノン」彼女はキーを叩いてこう言いました:「人が恐怖を抱くのは 死を拒むからなのよ」
ダニエルは、その長くない人生の終りに、ひとりの若い看護人に恋をしました。彼はダニエルに「心で動くように勇気づけ」ました。彼女は動くことができないけれど、心ごと彼の方に向うことはできたのです。
奇跡が起こりました。筋肉組織の向上が見られ、ダニエルは手のひらをかえすことができるようになりました。人々が、ダニエルのリハビリについて話し出した頃、しかし、彼女の容態は突然 悪化しました。
「幸せは不意に訪れるものね。病気が猛威を奮っている場所にもね」ということばをデスクトップに残すと、彼女はうとうとし、新しい世界に旅立っていったそうです。
ダニエルは「死は怖くないわ。きっと死ぬことで、その大きな問題を解決できるだろうと私には思えるもの」と言っていました。亡くなった父の最期の数日を思う時、いつもこの言葉を思い出します。死は、それを迎える人にとって、永遠の安らぎです。どんな苦しみもそれによって解決されるのですから。
むしろ深刻なのは、死によって愛する人と引き離されて残された人々の悲しみです。
お葬式は死者のためにあるのではなく、残された人々の癒しのためにあるのだと、いつも思います。墓参りも、法事も。だから、葬式墓守仏教なんて、悪く言わないで下さいね。ゴータマ・ブッダのころ葬式に参画しなかった出家が、今それに赴くのは、残された人々に慰めを与えたいと思ったに他ならないのですから。
きのうまで見ることができて、感じることができた人に、もう2度と会えない、ということ。自分の傍らの人もやがてそうなり、自分もいつかは そうやって旅立って行くということ。それを時々はじっと考えてみるのも必要ではないでしょうか?自分の傍らの、あまりにも慣れ親しんでいる人をもう一度 新しく大切にしてあげるために。ほとんど飽き飽きしている自分を もう一度愛してやるために。
「今を生きることが どれほど素晴らしいことか 人は気付くのがいつも遅すぎるのです」 ( フランソワ・ミッテラン)
[参考文献] マリー・ド・エヌゼル『死にゆく人たちと共にいて』白水社1997 ¥1700 戻る
okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp
姫路工業大学環境人間学部
書写キャンパス