栄眞の
 
電子説法室
 

第25回
 『ただ一度』
1999.07.18

 「なぜ人間の生を負いつづけなければならぬのか...
そのわけは、この地上に存在するということはたいしたことであるからだ
...
 
見よ、わたしは生きている、何によってか? 幼時も、未来も
減じはせぬ、…みなぎる今の存在が
わたしの心情のうちにあふれ出る。
(リルケ『ドゥイノの悲歌』)


 大学3年の今頃、Nietzscheの永劫回帰の思想に会いました。
 
「これが人生か、よしもう一度」
 
人生において最暗の時を過ごした後、ニーチェがこう言ったということに深い感銘を覚えました。なんという勇気だろう 。

同じ頃リルケの『ドゥイノの悲歌』を読み、全体のトーンがニーチェと似ていることに気付きました。

それから15年も経って、二人が、同じ女性を愛しつづけたことを知りました。類稀なる知性をもった Lou。彼女は彼らのミューズでした。彼女と交わった男は半年後、彼女の子供(=作品)を産むと言われました。


さらに10年たって、リルケがニーチェと徹底的に違っている点に気付きました。リルケの「時間」は繰り返さない!

そう、時間は繰り返さない。そのとおり。今日と同じ日は かつて一度も在ったことがないし、未来にも決してないでしょう。

繰り返しに見えても、それは単なるフラクタル、自己相似。マンデルブロ集合の一つ一つの計算回数が皆違っているように、ひとつとして、同じ事象はないのです。


時は進む。サイクロイド曲線状に。わたくしの この生は今だけ。何一つやり直すことはできません。ただ、できることは、常に新しく始めることだけ。

仏教の縁起説が、このようなぎりぎりの切ない時間の観念の上に成り立っていることを最近知りました。(これはまた別に語りましょう。大変な問題です。ね、松本史郎先生!)


こんなに貴重なこの生ですが、愛するものが難儀に遭うと「わたくしの命を削ってお救い下さい」とついつい祈ってしまいます。(しかし、いったい何に祈っているのでしょう。祈りながら「わたくしが祈っているあなたは誰?」 と問う栄眞は 不信心者でしょうか。)

たった一度、わたくしが存在の舞台に立てるのは、この1回きり。だからこんなにも人生は美しいのでしょう。わたくしはこの1度で充分満足です。


「あらゆる存在は 一度だけだ、ただ 一度だけ。一度 それきり
 
そして われわれも また 一度だけだ。くりかえすことはできない。
 
しかし、たとい一度だけでも、このように一度存在したということ
 
        ( リルケ「第9の悲歌」)

[参考文献]
リルケ『ドゥイノの悲歌』 岩波文庫赤 ★★

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