1999.07.11 「それが人生というもんだ」とマックダンは言った。 「決して帰らぬ者の帰りをいつも待っているということ。 愛されている以上にいつも何かを愛するということ。」 (レイ・ブラッドベリ「霧笛」)
毎日少しずつ進んでいることがあります。Bachのフランス組曲は4段目の半ばになりました。この調子で行くと、Allmande だけで、2ヶ月かかりそうです。でもやめなければ、もう1ヶ月すれば、弾けるようになるということでもあります。
寝る前にブラッドベリをちょっとだけ読み返しています。『華氏451度』『火星年代記』船の旅をした頃読んだのをまた読んでいます。相変わらず好きです。
昨晩から『太陽の黄金の林檎』に入りました。4次限などという異空間ではなく、同じdimensionに住みながら、異界のものについて書かれた短編集、と言えばよいでしょうか。
それはちょうど、オートステレオグラムの魅力に似ています。だれにも普通に見える点々、それが上手く「交差融像」や「並行融像」が結べると、ぐっと盛り上がったり、へこんだり。
そこに現われる3Dの世界は、確かに見えているのに、触われない。わたくしはある人にこれを教わって、世界が変わったように思いました。
それまで「我が目で視た」ことに絶対の信頼を置いていたからです。「我が目で視た」のに、それを他の人が同じように見ることができると保証できないものがあるというのは、怖くて、また、愉快なことでもありました。
わたくしたちは、「この人を愛している」と思っていますが、ほんとうにその人そのものを愛しているのでしょうか?ひょっとすると、その人の「交差(並行)輻輳」を結んでできた像、自分で作ったオートステレオグラムを愛しているのではないのでしょうか。
自分では、愛されている以上に愛している、と思っていても、ほんとにその人そのものを愛していないのなら、相手だって、同じように感じているかもしれません。
同じdemensionに住んでいるのに、異界の人のよう...そう思える時は、ランダムドットでも見て遊びましょ。ルサンチマンの塊になるのはよくないですから。
「そしてしばらく経つと、その愛する相手を滅ぼしたくなる。滅ぼしてしまえば、自分が二度と傷つかなくてすむからな。」怪物は灯台に向って突進してきた。
霧笛が鳴った (ブラッドベリ「霧笛」)
[参考文献] レイ・ブラッドベリ『太陽の黄金の林檎』ハヤカワ文庫NV109 (1976初版) 下條 信輔 『視覚の冒険 イリュージョンから認知科学へ』 産業図書 1995 \2300 戻る
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姫路工業大学環境人間学部
書写キャンパス