第18回
「子供が成長して手が離れてくると淋しいでしょ?」とよくいわれます。 わたくしは薄情な母親なのでしょうか。うれしいばかりで、ちっとも淋しくない。 でも、もし、恋人が「もうひとりで大丈夫だよ、君も元気でね」と言ったら、
どうでしょうか?やっぱりうれしいばかり、ちっとも淋しくないと言えますか?
息子が6年生になりました。背丈が私と殆ど変わらなくなりました。それでも、小さい頃、鼻と鼻をくっつけて「ふみちゃん、大写し」と言ってやった遊びを、今でも時々やる子です「おかあさま、大写し」と言って。すると、<おとうさま>は「もう大きくなったのに気持ち悪い」とたしなめます。かれは嫉妬しているのです。(笑)
「もう少ししたら憎たらしいことをいって、相手にしてくれなくなりますよ。そうすると淋しいですよ」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
そうですか?そう言えば、「子供が可愛いのは3歳まで。小学校なんか行ったら、全然もう可愛くないよ」なんてアドヴァイスもして下さった。
そんな事ないですよ。今でも、眠っている息子の頭を撫で撫でして、「可愛いね。大好きよ」と毎晩言ってるほど可愛い。
それでも、子供が成長して手が離れて行くことは、わたくしにとって喜びです。勤めも辞めて彼が3歳になるまで、ずっと一緒にいてやりました。朝中お砂場で遊び、昼から一緒に本を読んだり工作したり、プラレールしたり、わたくしたちは一番の親友でした。
しかし、それが一生続くとしたら、それは、お互い地獄ですよ。
子供が成長するように、愛も成長するのです。わたくしは、そのように彼に対する愛を育てています。だから、手が離れてきても淋しくないのです。彼が成長したら、今までと違った、大きくなった彼にふさわしい愛し方をしてやればいいのだと思います。
ところが これ 愛する人の時にもやれますか?
「君がいないと生きていけない」なんていわれると嬉しくて、ずっと傍にいてお世話したいなんて思っちゃう。離れているのが辛くて、すこしでも一緒にいたいと思う。
恋に落ちて情熱的だった時が過ぎ、魔法が解ける頃になると、「前はこんなに言ってくれたのに」「とても忙しい時でも、少しの間でも会ってくれたのに」etc...とても淋しく成るでしょう。
ましてや、「君といて楽しかったよ。じゃあね」と言われて、ああ楽になるわ、と喜んで手を振って別れることができるでしょうか?考えただけでも悲しい。
それはね、恋いも成長することを忘れているからですよね。成長がいけなかったら、ウーン、恋も進化する。わたくしたちはお互いに共進化してゆくのです。その過程で、その恋が変化して行くのは当然の成り行きです。
<愛しすぎる女たち>になるのはキケンです。いつまでも子供が赤ちゃんでいることを望むような母親にはならないほうがいいですね。自分のためにも相手のためにも。そう、全ては常住ではないのですから。
とは言っても、それでもやっぱり別れる時は辛いでしょうから、そのときは泣きましょ。そして、もしあなたが どうしても泣くことになりたくないのなら、相手とうまく共進化して行くことですね。恋も一緒に。
戻る