栄眞尼の
電子説法室

 


第17回
『ときには一緒に泣くことが』
 1999.05.09

泣いたって 何も変わらないって言われるけど
誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね
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Time will tell  時間が経てばわかる
Cry だからそんなあせらなくったていい
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ひとりで落ち込まないで
We just can't control the time
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だから今は泣きたいだけ泣いていい
もっと  もっと  もっと

(written by Utada Hikaru)*


  先週、曲名も歌手も分からないので、仕方なく レジで歌って、そのCDを買った話を「岡田真美子の日記(99.5.5)」に書きました。

 このとき欲しかった曲とカップリングされてたのが、この Time will tell でした。

 その2日後、フィールドワーク演習の文献収集実習でジュンク堂へゆき、仲間のひとり

 ERIKOさんが推薦した映画の原作『わたしが・棄てた・女』を見つけました。



ミツは泣きはじめた。手で顔を覆い、少しずつ声を大きくし、泣きつづけた。

「いいのよ。いいのよ。」スール・山形はその肩を支えたまま、「大きな声でお泣きなさい。本当につらかったでしょうね。本当につらかったでしょうね。」            (p.215)


 ここを読んだ時、ちょうど宇多田ヒカルのあの歌を聴いていました。人生には大泣きしてもいいときがあるものだと思いました。そして、それは時間だけが解決してくれるのだということも。

 この物語はハンセン病を扱ったものです。上記のシーンはミツが病の宣告を受けた時ではありません。ハンセン病は誤診であった とわかったときです。

 ミツは、その後、療養所を一旦は出ますが、再び戻ってきて、患者さんの世話をするために留まります。そしてやがて、皆のために買った卵をかばって、トラックに轢かれ、短い一生を終わります。

 このスール山形という修道女は、「びっくりするほど心の美しい」「世間にいたときだって、悪いことなんか何一つしなかった」人々が病に苦しみ、家族に棄てられ、泪を流さなければならないことを 悩んでいます。

 結局彼女はこう考えます

この不幸や泪には決して意味がなくはないって、必ず大きな意味があるって(p.209)

 そうなのでしょうか?どんな意味があるというのでしょうか?そんな意味は必要なのでしょうか?



 なぜ善人がこんなに辛い目にあうのか?このスール・山形が悩んだことは、昔ヤーコプ・ベーメという 哲学者を悩ませた問題でした。聖書のヨブという人もそうでしたね。

 栄眞はそんなとき慰める言葉をもちません。わたくしは そんな時どこに向けてよいかわからない怒りを感じてしまいます。そしていっしょに泣くしかできない 無能な出家です。

 ジェームズ・ランゲ説を持ち出して「泣くから悲しい」と 冷ややかにおっしゃるあなた、しばらくあっちへいってください。やっと 泣けるようになった人もいるのです。そして、泣くことによってしか慰められない人も。

 ときには一緒に泣くことが、唯一その人を愛しているということを示すすべであることがあるものです


 【参考文献】 遠藤周作『わたしが・棄てた・女』(講談社文庫 1972  \495)
*UTADA HIKARU , Automatic/time will tell , TOCT−4127 \1000

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okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp  姫路工業大学環境人間学部 書写キャンパス
 

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