(1999.03.21更新)
 

 
第12回
『ことばの力』
 1999.03.21


他人から ことばで警告されたときには、心を落ち着けて感謝せよ。ともに修行する人々

に対する荒んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発して

はならない。人をそしることを思ってはならぬ (スッタニパータ 第4章 973)



一口に他人からの警告といっても、悪意に満ちた警告もあれば、善意ゆえの警告もあります。

ここで言われているのは、ともに修行する人から貰った警告でしょうから、善意ゆえの苦言であろうと思われます。

それでもなかなか聞けないのが人情と言うもの。「心を落ち着けて」と付されているのはそのせいでしょうか。

警告してくれた人に逆恨みすることはよく起こりますね。それをここでは「荒んだ心を断て」と誡めています。

警告してくれる人がいるということは、とても幸せなことです。その人は本当の友達かもしれません。

栄眞はそんな時手を合わせて「ありがたい、ありがたい、ありがたい」とまず3回いうことにしています。



さて、「善きことば」というのは何でしょう?   スッタニパータの別の箇所に
 
 「自分を苦しめず、また他人を害しないことば」/「愛情に満ちたことば」(III.451f.)

という表現があります。『法華經』にある「言辞柔軟(ごんじにゅうなん)悦可衆心(えっかしゅうしん)」ということばを思い出します。



古来インドでは、ことば、中でも真実を語ることばには、強い力が宿ると信じられてきました。

satya-vacana(サティヤ・ヴァチャナ “真実語”)は死んだ人を生き返らせたり、怪我を一度に治したりもします。

このような強い力を持つことばを、やたらと振りまくことは憚られますね。だから穏やかに、静かに、数少なく語ることが求められるのです。

やはり、インド人は今も昔も大変なおしゃべりであるようです。ん? ひとのこと言えるのか、ですって!



虚言・ごまかし・ベンチャラ・策略は真っ平御免。ばか正直と言われてもいい。
 
「真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である」(III.453)

ということばを栄眞は信じます。



でも、警告と称して 悪意に満ちた中傷を貰ったら、どうしましょう? そうですね、ホームページに「ひどい人がいます」って公開してやりましょうか?

いえいえ、ことばのパンチをお見舞いして相手を張り倒しても空しいだけ。相手にするだけ損です。

 
荒々しいことばをいうな。言われた人々は汝に言い返すであろう。
 
怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身にいたるであろう」
 
これはダンマパダにあることばです(X.133)。
 

その時は、穴を掘って「王様の耳はロバの耳」のように、「馬鹿たれ!」ていってやりましょう。なんだったら栄眞がその穴になりますよ。

 

[ 参考文献 ]
中村 元 訳 『ブッダのことば  スッタニパータ』 岩波文庫 青301-1 \600

  okadamk@hept.himeji-tech.ac.jp    姫路工業大学環境人間学部   書写キャンパス
 
 
indexページへHPひよこの歩みご一緒にいかが岡田真美子とは何でもQ&A研究紹介リンク集