他人から ことばで警告されたときには、心を落ち着けて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発して
はならない。人をそしることを思ってはならぬ (スッタニパータ 第4章 973)
一口に他人からの警告といっても、悪意に満ちた警告もあれば、善意ゆえの警告もあります。ここで言われているのは、ともに修行する人から貰った警告でしょうから、善意ゆえの苦言であろうと思われます。
それでもなかなか聞けないのが人情と言うもの。「心を落ち着けて」と付されているのはそのせいでしょうか。
警告してくれた人に逆恨みすることはよく起こりますね。それをここでは「荒んだ心を断て」と誡めています。
警告してくれる人がいるということは、とても幸せなことです。その人は本当の友達かもしれません。
栄眞はそんな時手を合わせて「ありがたい、ありがたい、ありがたい」とまず3回いうことにしています。
さて、「善きことば」というのは何でしょう? スッタニパータの別の箇所に
「自分を苦しめず、また他人を害しないことば」/「愛情に満ちたことば」(III.451f.) という表現があります。『法華經』にある「言辞柔軟(ごんじにゅうなん)悦可衆心(えっかしゅうしん)」ということばを思い出します。
古来インドでは、ことば、中でも真実を語ることばには、強い力が宿ると信じられてきました。satya-vacana(サティヤ・ヴァチャナ “真実語”)は死んだ人を生き返らせたり、怪我を一度に治したりもします。
このような強い力を持つことばを、やたらと振りまくことは憚られますね。だから穏やかに、静かに、数少なく語ることが求められるのです。
やはり、インド人は今も昔も大変なおしゃべりであるようです。ん? ひとのこと言えるのか、ですって!
虚言・ごまかし・ベンチャラ・策略は真っ平御免。ばか正直と言われてもいい。「真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である」(III.453) ということばを栄眞は信じます。
でも、警告と称して 悪意に満ちた中傷を貰ったら、どうしましょう? そうですね、ホームページに「ひどい人がいます」って公開してやりましょうか?いえいえ、ことばのパンチをお見舞いして相手を張り倒しても空しいだけ。相手にするだけ損です。
「荒々しいことばをいうな。言われた人々は汝に言い返すであろう。 怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身にいたるであろう」 これはダンマパダにあることばです(X.133)。 その時は、穴を掘って「王様の耳はロバの耳」のように、「馬鹿たれ!」ていってやりましょう。なんだったら栄眞がその穴になりますよ。
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[ 参考文献 ] 中村 元 訳 『ブッダのことば スッタニパータ』 岩波文庫 青301-1 \600