(2000.02.13更新)
 栄眞尼の
電子説法室

1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。

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2000.02.13
第50回 「草木國土 悉皆お陀仏」

先週、enviro-newsの枝廣さんからのリクエストで「山川草木 悉有佛性」について書きました。

この言葉は我々の業界では 広く知られているものですが、業界人が思っているほど日本において一般的であるわけではない、ということが今回明らかになりました。

ただ、この言葉が知られていないとは言え、先週のように説明すると、共感を覚えて下さった方は多くいらっしゃったようです。



その中に、この佛性を生命とイコールで繋いでお考えになった方も相当数あったでしょう。万物にはいのちがある、というように。

これに対しては、共感を感じる方と、不快に思う方とがあるようです。英語にも、詩人が 無生物も人間同様の勘定を持つようにうたうことを《pathetic fallacy(感傷の虚偽)》なんてふうに批判的にいう表現がありますね。



また「山川草木 悉有佛性」はアニミズムだとして、これを退ける人々が我々の業界にもいます。非常に真摯な批判的仏教研究をしている人々です。

以前は「山川草木 悉有佛性」はアニミズムではない、と考えてきました。でも 別にアニミズムでもいいじゃないの、と最近は思っています。



一方「佛性」を仏になる種のように考えて、「山川草木悉有佛性」は、「無我説」を説く仏教の教理に矛盾する、といって非難する人々もあります。

仏の種というような実在が 万物の根底に存在するという思想は、インド古来のアートマン(我)説と同じだ、と彼らはいうのです。(仏教は一般的に なにものかを 実体視することはありません。すべては変化する現象なので。)

危ない、危ない。それで、先週の説法室でも「佛性」を「仏となる性質」と書きました。別のところでは「仏となる可能性」とも書きました。
佛性を実在の「物」と考えないで欲しかったからです。

「山川草木 悉有佛性」はこのようなすこし危ない言葉です。


これによく似た「草木國土 悉皆成佛」という表現があります。こちらはもう一歩進んでいるように思います。「有」という誤解を生む表現を避け、「成」という変化を表わす動詞を使うことによって、 無常観に矛盾しない表現になっているからです。

草木や国土も 悉くみな仏になる。そう考えて万物に手を合わせ、大切にする。これは、なにものに向っても敬礼きょうらいした『法華經』の常不軽菩薩じょうふぎょうぼさつに通じるこころです。

草木はともかく、國土が成佛する、というのは、どうもイメージがわかない、と言う方もありましょうね。

でも 逆に こういうとすこし分かるのではないのでしょうか:

「草木國土 悉皆おだ仏」
(環境を顧みることなく、勿体無いことばかりしていると、
    草木も国土もみんな 滅びてしまうよ、ということ。)
そうです、今や、国破れて山河なし、の時代です。確かに、国土も お陀仏しちゃいますよ。

栄眞の新解釈です。ー平成の新仏教として、こんなのは如何でしょう?!

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注)このページの壁紙gif.は、小学生の広大くんが一生懸命作ったのを貰ったものです。
    広大くん、ありがとう。       http://www2.memenet.or.jp/~koudai


Copyright(C) 2000 Prof. Dr. OKADA Mamiko
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