1999年1月3日発足。毎週日曜登場予定です。
第45回 2000.01.02 「焔のように」
暮れの草削りのあと、スギナの焚き火をしました。なかなか燃えないので反故紙を燃やして火を付けようとしました。めらめらと上がる焔は、紙だけを包み、土付きの草にはなかなか移りませんでした。
昨年一番の出来事は、すばらしい人たちと知り合えたことです。 栄眞の世界はぐーんと広がりました。
今年はどんなすてきな出来事があるでしょうか。
諸々の世間を了知さとるに、焔の如く 光景かげの如く、響きの如く、 亦
夢の如く、幻の如く、変化の如し
『華嚴經』
「身の乾ける薪の如く、瞋恚は火の如し。未だ他を焼くこと能はずして、先づ自ら身を焦がす」(『大莊嚴経論』)怒りは自らを焼くものです。この反故紙のように、他所に働きかける前に自分を焼き去ってしまいます。
栄眞は子どもの頃から 怒りん坊でした。ぼーっとしているようで、結構色々なことに気が付いたでしょうか。人一倍よく怒り、またそれを人一倍よくガマンしました。長じて、幼い頃の愚図が治るに及んで、苛いらちになりました。京女の仮面の奥に隠された イライラの焔。しばしば我が身が蒸し焼きになりそうでした。
栄眞はそれをどうやってガマンしていたのでしょう?
― ― 腹の立つところから「ぷいっ」と離れるのですよ。「ぷん」と怒って、他所へ行く。ものの30分もすると、ケロリとして戻って来られるのです。
じぃーっとしていると、メラメラ焔が大きくなるのが分かります。これを「わだかまる」と言います。こだわっていると ますます火勢は強くなります。
そんなとき 栄眞は風になります。怒りの焔であるのはやめて、一陣の涼風になるのです。時には、その場から、身を剥がすように、痛みを感じながら離れることもあります。でも、留まるのはよくない。離れなきゃ。
諸々の事象は移り変わる。変わらぬものは一つも無い。それなのに、その幻のようなものにしがみ付こうとするから苦しいのです。自分の思惑にこだわっているから腹が立つのです。
まず身をそこから遠ざけると、心もそこから離れます。身体が風を起こせば、心も軽くなりますよ。
だから、栄眞が「ぷいっ」と怒って席を蹴って立ち去っても、気にしない、気にしない。30分もすれば、またケロリとして戻ってきますから。
百千劫の間 罵詈ののしらるるとも瞋心いかりを生ぜず。 又 百千劫の間 称讃ほめらるるも 亦歓喜ぜず。
是れ 人の言は 音声の生滅にして 夢の如く
響きの如くなることを 了知すればなり。
『大智度論』
注)このページの壁紙gif.は、小学生の広大くんが一生懸命作ったのを貰ったものです。
広大くん、ありがとう。 http://www2.memenet.or.jp/~koudai
Copyright(C) 2000 Prof. Dr. OKADA Mamiko