(2000.09.12更新)
 栄眞尼の
電子説法室

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「わたしのお勧め電子説法」を募集します。お気に入りの電子説法をお知らせください。簡単なお勧め文を添えていただけると有り難いです。 栄眞

隻手の声
2000.09.12

人間の生の全体は、われわれと環境の間の対話、一連の問と答えといえよう。われわれはその行動で宇宙に問いを発し、宇宙はその答えでわれわれの行動が法則に合っているかどうかを知らせる。
(E.F.Schumacher『スモール イズ ビューティフル 再論』講談社学術文庫p.239)


先回 こころのやり取りをすることが難しいという病について書きました。

対話をするということもなかなか簡単ではありませんね。

楽しそうに話しをしている2人をよく観察していると、お互いが交替で自分の話をしていてるだけの、「サンドイッチ会話」であることがあります。パンの人はパンの話を、ハムの人はハムの話を代わりばんこに し続けるわけです。「ピンポン会話」で観察されるこころのキャッチポールはありません。



教師やお坊さんは気を付けないと 一方的に話しっぱなしの「会話音痴」になる危険があります。内容がいいかどうかは別として 聞く人がじっとそこに据え付けられて 聞くことを強要されることが多いですからね。親も子供に対してそうです。

われわれ ヒトも うっかりすると他の存在物に対して命令するばかりになってしまうんじゃないでしょうか。

「環境はそのことばでもってわれわれが道を踏みまちがえていること、そして誤った方向にずんずん進んだからといって道はひらけないことを告げている。」
(シューマッハー 前掲書 p.249)
環境は環境のことばを使って告げているのに、それにわれわれは気付いてないことがあります。葉っぱの周りが薄ら黄色くなる、梢の葉っぱが落ちる、自然の小さな変化は自然のことばですね。

他のもののことばを聞いて、受け止めて、みずからのことばを返すこと。それができないほど わたくしたちは いつからそんなに忙しくなったのでしょう。



江戸時代の禅師のことばに「隻手の声を聞いてこい」というものがあります。

両手を打ちあわせると パーンと音がします。隻手 かたて では音は出ません。その音の出ていない片手の音色を聞いてこい、というのです。

普段はおしゃべりな栄眞ですが、ときには じっと他のものの声無き声に、ことば無きことばに(いや、ほんとうは 声もことばもあるのでしょうが、自分にそれが聞こえない わからない) 耳を傾けて、暖かなこころのことばを 行ない で返したいと思う此の頃です。

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注)このページの壁紙gif.は、小学生の広大くんが一生懸命作ったのを貰ったものです。
    広大くん、ありがとう。 http://www2.memenet.or.jp/~koudai


Copyright(C) 2000 Prof. Dr. OKADA Mamiko
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