JSPS
人文・社会科学振興プロジェクト研究事業

岡田のシンポジウム報告

未来を拓く人文・社会科学

日 時:

2007年3月 9日(金)13:30〜18:00(13:00受付開始)
2007年3月10日(土)10:00〜15:00(9:30受付開始)

場 所:

大手町サンケイプラザホール
東京都千代田区大手町1−7−2(大手町駅すぐ)

題目:イノチのゆらぎとゆらめき

日時:2007年3月9日(金) 13:30〜18:00

趣旨:

 生命改造技術の発展に伴う生命観の揺らぎと、それも踏まえた生命観の多様な対応の可能性について検討するシンポジウム。

 第1部では、「生命改造技術のインパクト」というタイトルで、生命の改造技術及びその技術の持っているインパクトについて紹介・議論された。ここでいう生命には、生命科学と工学との技術ミックス、そしてそのインパクトの大きさの観点から、生物以外にロボットも含めて考えられた。これまでは、人、動物、ロボットの境界線は明確であった。ところが、現代の生命科学・技術、そして工学技術の発達により、人と動物、動物とロボット、人とロボットのハイブリッドが作成されつつあり、これらの生命の間に連続性が見られる状況が生まれている。この状況に注目し、第1部では、われわれの生命への関わり方の過去、現在、未来を具体的に把握することとともに、そのような認識に立脚した時に、われわれの生命観はこれからどのように変わるのか、その変動の可能性について展望がなされた。

 第2部で、「生命観の諸相」というタイトルで、これからの「生命」はどこにあるのであろうか、これからの「生命」は何から成り立っているのであろうか、「生命」とは何よって支えられているのであろうか、という問いを現場から見ていくことによって、現代社会のいのちの立ちゆく諸相について考えられた。例えば、今日、精子バンクや受精卵の着床前診断等の技術の介入によって生命が取捨選択されるようになっている。自然な受精や自然な出産だけで生命が誕生しているのではない。また、原理的には「生命」は皆等しいかもしれないが、誕生した後、「生命」は社会が持つ分節化や差異化の力のために差別化される。それは社会の階級化や他民族への抑圧などとして表出してくる。また、今や日常化しているコンピューターの中での人工生命の創造という先進の研究も行われている。それは人間のイマジネーションの為せる業なのであろうか、それとも現代の「生命」観の変更を迫るような新しいイノチの創出なのであろうか。これらの現場も踏まえて、現代社会のいのちの立ちゆく諸相について考える。

プログラム:

13:30 〜 13:40 開会挨拶

第1部「生命改造技術のインパクト」 司会 大上 泰弘 
13:40 〜 14:00 ロボットは「生命多様性」という価値観に何をもたらすか
瀬名 秀明 (作家)写真左
14:00 〜 14:20 「遺伝子操作」という生命改造技術
野地 澄晴(徳島大学)
14:20 〜 14:40 育種という生物改造技術
林 良博(東京大学)写真右
14:40 〜 15:30 パネリスト討論(瀬名、野地、林、大上)
15:30 〜 16:00 休憩

 

 瀬名さん
の話では脳研究に「社会性」という要素が取り込まれてきている現状がうかがえて興味深かった。

 野地先生はいずれゲノムを自由に改造できる時代が来る、と言われた。また第2部のパネルの最後では、生物の進化の歴史はジェノサイドが繰り返されているという発言をされたが、生物の淘汰にジェノサイドという言葉を使うことには抵抗を感じた。生命倫理ではそういうことも扱う必要があるかと思う。

 林先生は「青いキリン」のジョークから話を始め、日本人が育種に大きな興味を寄せてきたことを話された。
その中でとくに印象に残っているのは、育種をしてもあまり形態変化を作り出さない国である、ということである。
明治まで、日本人は家畜の去勢を忌避してきたということにも日本的生命観を考える上で重要な情報だった。

  

第2部「生命観の諸相」 司会 木村 武史(筑波大学)

16:00 〜 16:20 自然主義と文化による設計
金森 修(東京大学)
16:20 〜 16:40 生命と身体の政治学?ジェノサイド研究の視点から
石田 勇治(東京大学)
16:40 〜 17:00 人工生命で探るイノチ
有田 隆也(名古屋大学)
17:00 〜 17:50 パネリスト討論(金森、石田、有田、木村)
17:50 〜 18:00 閉会挨拶
総合司会 小長谷 有紀(国立民族学博物館)

金森先生が、現在は、後から振り返るといのちに関して、記載・枚挙から操作・設計への移行が起こる結節点であったという評価がなされる時代ではないか、と言われた。そののちの議論も含めスリリングであった。
 ついで、語られたのは、−-自然科学的言説の文脈に「文化」を還元、換言しながら解釈する発想(「自然主義」)が現代では進んでいる。しかし、自然主義的自己理解ばかりしていると文化は貧しくなる。文化は自然主義を自分の重要な一成分として含みつつ逸脱してもっと豊かになろう。−-というようなことであった。仏教でいう「自性空」のような文化の自己展開を見たようで面白かった。


※終了後1時間、パネリストと自由に意見交換できる場が設けられた。

題目:社会の制度設計と合意形成

日時:2007年3月10日(土)10:00〜15:00

趣旨:

 人間が環境に存する資源を利用し管理していくために、市場のみに依存するわけではなく、様々な関係者から構成される仕組み=ガバナンスが構築されている。このようなガバナンスにおいては、情報を独占しがちである様々な専門家の役割をどのようにコントロールしていくのか、資源利用における世代間公平をどのように考えるのか等が課題となる。また、そもそも何を資源として把握するかということ自体、流動的である。このような課題を踏まえた上で、社会における資源を管理し配分するための、ガバナンスの制度設計を、様々な分野において行っていく必要がある。
 また、これらのガバナンスには、社会的価値や環境条件の変化に対応して自らを変容させていく、社会的イノベーションのメカニズム(=メタガバナンス)が必要になる。このようなメカニズムでは、どのような関係者(利用者や新規参入者等の利害関係者あるいはその代弁者、専門家)を巻き込むのか、多様な観点を踏まえた課題設定(フレーミング)をどのように行うのか、その上で、関係者の合意形成・調整(場合によってはレントの再配分)をいかなる場でどのように行うのかが重要になる。
 本シンポジウムにおいては、自然資源、社会資源を素材として、ガバナンスの制度設計とその変化のための合意形成のメカニズムの課題を探る。具体的には、前半では、自然資源として、食品・食料、水、空間をとりあげる。その上で、何を資源として切り取るかに焦点を当てて、資源の物理的性格と配分メカニズムの制度設計のあり方に関する横断的比較を行う。後半では、社会資源として、医療、金融、司法サービスをとりあげる。その上で、制度設計のあり方に加えて、専門家や様々な利害関係者の役割と、変化における合意形成のメカニズムに焦点を当てて、横断的比較を行う。

プログラム:

10:00 〜 10:10開会挨拶

第1部:自然資源のガバナンス 司会:佐藤 仁(東京大学)
10:10 〜 10:25 食の安全と安定供給のリスク?資源ガバナンス
平川 秀幸(大阪大学)
10:25 〜 10:40 水問題を巡るガバナンス
蔵治 光一郎(東京大学)
10:40 〜 10:55 飛べ、ヘリテイジバタフライ
村松 伸(東京大学)
10:55 〜 11:10 資源を見る眼
佐藤 仁(東京大学)
11:10 〜 12:00 パネリスト討論(平川、蔵治、村松、佐藤)
12:00 〜 13:00 休憩

佐藤先生の問題意識、議論の進め方、まとめ方、どれも意欲的で、論理的で、人文科学の向かうべき方向、果たすべき役割などを明確化されたと思う。

「資源」を佐藤先生は「働きかけの対象となる可能性の束」と定義された。これまで、「資源」という言葉には「環境搾取の対象」「人のくらしために活用消費する対象」というニュアンスが感じられていたのだが、佐藤先生の定義はまったく違った。

さらに、「アイディアというのは異なるもの同士の邂逅と対話から始まる」
     「人文科学はすぐには役に立たない学問」
     「scholarの語源どおり閑な人を育てよう」
という主張があり、大いに共感した。

平川さんのバイオエネルギー開発と食の安全供給の問題に関するレクチャーは環境研究者にとって使える情報が多かった。

村松さんのレクチャー中にあった「斑鳩に来る人は世界遺産を見るだけで、斑鳩の町を見ない」という言葉は心に残った。法隆寺のある斑鳩の事情は、姫路城を持つ姫路ととても似ていると思う。

蔵治さんはさまざまな水のガバナンスについて話された。特に感銘を受けたのは、
 母なる川、母なる湖という言葉があるように、地域に安心感を与えるのが
 「水」をめぐる資源である。
 科学的に証明されていない宗教的価値などはもっと見直されてよい、
という議論であった。環境宗教学を専門とするわたくしにとって自然科学者である蔵治さんがこうおっしゃるのは大変うれしいことであった。

★佐藤先生の議論に登場した3人の論客がすべて理系出身であることは示唆的であった。つまり、文理融合の旗手は、理系の基礎を固め、社会性を備え、人文のセンスを磨こうという者である、ということなのだろうか。

    

第2部:社会資源のガバナンス 司会:城山 英明(東京大学)

13:00 〜 13:15 公的医療保険制度のガバナンスと価格システム
吉田 あつし(筑波大学)
13:15 〜 13:30 金融サービスと金融制度改革
藤谷 武史(北海道大学)
13:30 〜 13:45 司法制度改革における「司法」と「市場」
阿部 昌樹(大阪市立大学)
13:45 〜 14:00 メタガバナンスの視点
城山 英明(東京大学)
14:00 〜 14:50 パネリスト討論(吉田、藤谷、阿部、佐藤、城山)
14:50 〜 15:00 閉会挨拶
総合司会 城山 英明(東京大学)

  

※終了後1時間程度、パネリストと自由に意見交換

人文科学がする仕事について考えさせられるシンポジウムであった。(書きかけ)