春の川(2004年上半期執筆)
その舟は小さかった。ここなが寝そべると、それでいっぱいになった。ここなは舳先を枕にして、小さく息を吐いていた。
「今、漕いでるの?」とここなが尋ねた。
「いや」と僕。「流れに乗ってるだけ」
土手沿いに目を走らせてみると、冬の間は痛々しく枯れていた草むらが青さを取り戻しているのが見え、春が訪れたことを今更のように感じた。カラスノエンドウやら、オオイヌノフグリやら、ペンペン草やらーーそういった春の野草たちが頭をそろえているのだろう。障子紙を通したような、柔らかい太陽の光が心地良かった。ここなが猫のようにのどをごろごろと鳴らした。
「ひっくり返ったら死んじゃうかな」と、ここながつぶやいた。
「何?」
「この船がひっくり返ったら、私たち溺れ死んじゃうのかな」
「大丈夫だよ」僕は笑って答えた。
「だってこんな、浅い川だもの。雪どけ水で、少しは水面が上がってるだろうけどね。」
「そう」あむあむと、ここなは僕の指をくわえてみせた。「川底に沈んじゃったら、こんな風に魚に食べられるのかなァ」
そして、横を向いて言った。「この川には居るかなァ、魚」
「たくさん居るよ」僕は同じ方を見ながら言った。「ウナギもね」
「うなぎ?」
「いつか、ジョウジが釣って持って来ただろう」と僕は言った。「『稲刈川で釣って来たぞ、新鮮すぎて恐ろしいくらいだ』って言ってーー」
ジョウジが釣って来たというウナギは、実に見事な代物だった。僕とここなとジョウジの3人がかりでさばいた。その後串に刺して焼いてみたが、さすがは名高いウナギの煙だ、あやうく窒息死するかと思った。それどころか、約一週間もの間、その香ばしい煙のにおいが部屋中にしみついたままとれず、ウナギくさいソファでウナギくさい本を読み、ウナギくさいコンポでウナギくさいCDを聴く生活を味わう羽目になった。ウナギの香りでウナギ屋は客引きをするくらいだから、始終そのにおいを嗅がされている僕とここなは腹がへりっぱなしだった・・・・・・というのは嘘で、実際は辟易し、やがて辟易を通りこしてウンザリしたのだった。
しかし煙はともかく、ウナギの味は素晴らしかった。ジョウジには、この場を借りて感謝の念を表明しておきたい。
「ウナギの昼ごはんになるのも又、人生だね」ここなは僕の指をくわえたままでそう言い、笑った。
本当にいい天気だった。あんまりにもいい天気だったので、ベランダいっぱいに布団を干し、ついでに体の方も日に干そうと思って、こうして出かけて来たのだった。
静かな昼下がりだった。街を走り抜けてゆく電車の音と、一丁目の工事現場の物音が時おり風に乗って響いて来るだけだ。僕とここなはあてもなく町を散策した後で、三丁目の中心を流れる稲刈川まで足を伸ばした。
僕らは土手をよじ登り、登りきったところで草の間に身体を横たえた。寝そべっているとかすかな風が心地よかった。普段なら気付かないでいそうな、本当にかすかな風だった。
それから、川べりに小舟が停泊しているのを見つけて、あれに乗ってみようかという話になった。ちょうど舟の近くに釣糸を垂らしている人がいたので、お願いしてみることにした。
僕とここなは土手を駆け下り、釣り人に歩み寄った。そして、どう頼んだものかなと思案しながら、取り合えず話しかけてみた。
「釣れますか」
古くてヨレヨレのジャンバーに身をくるんで、微動だにせず糸の先を眺めている男の背中に向かってそう問うのだが、阿保らしい問いかけ、釣れているはずがなかった。彼はもう千年も万年もここへ座り続けているのだろうと思った。くわえタバコの先に火は無く、煙を喫うためにそれを口の端へひっかけているのではなさそうだった。この釣りざおにしても、魚を釣るために持っているのではなさそうだった。確かに、竿の先端からぶら下がっているてぐすは川の中に垂れているーーが、魚がかかることを算段に入れている様には思えなかった。針を付けているのかすら、疑わしかった。
男はタバコをくわえ直し、ぼそりと呟いた。
「水を見ていてね」
「へ?」僕は聞き返した。
「水の、流れるさまを、見ているのさ」男は小さな声でそう呟いた。
一陣の風が吹いた。男の傍らにつなぎとめられている古い舟のへ先が、それにゆられてゆらゆらと振れた。
ここなはジーンズにはりついた草の切れっぱしを払った後、「この舟をお借りしてもいいですか」と極めてシンプルに尋ねた。そして僕の方をむいたので、僕は少し首をかしげるようにして、釣り人に目を転じた。
「あァ、いいよ、いいよ」釣り人は左手を挙げて、ひらひらとそれを振ってみせた。意外と人のよい人物であるようだった。
僕らは彼の好意に甘えて、小舟を借りて出航した。
ーーそして今に至る。
僕はまた土手に目を転じた。本当に豊かな青色だった。春がすみを通して見たそれは、とても心和むものだった。
ひとりの婆さんが、よろよろと土手を這っていた・・・・・・這っていた?腰が曲がっているせいで、歩いている姿が這いつくばっているように見えたのだろうか。
いや、実際、婆さんは這いつくばっているようだった。
「あのお婆さん、何してるのかな」とここな。
「あれだよ、ホラ、春の野草つみ」と僕。「ウキイネガユを作るんだよ、きっと」
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僕は稲刈市出身ではないので、稲刈市の郷土料理であるところの「ウキイネガユ」が、如何なる粥であるというのかは長年知らなかった。
この奇怪な食べ物の存在を知ったのは、セルジオ君がうちへ遊びに来た時のことである。セルジオ君はカザミさんの同棲相手で、同性愛者のイタリア人だ。稲刈市一丁目の、通称レンガ通りという遊歩道沿いにあるイタリアン・レストランで働いている。
そのセルジオ君は誰かに名前だけ聞きかじったのか、ウキイネガユについてかねがね知りたがっていた。
「ところで、ウキイネガユについてナニか教えてくれませんか」
僕らはスナック菓子と、セルジオ君手作りのピッツァを前に飲んでいて、とりとめもなくバカ話をしては破顔大笑、陽気に酔っ払っていたのだが、ふと会話が途切れた後で、だしぬけにまじめな顔をしてセルジオ君がこう切り出した。
「ウキイネ・・・ガユ?」僕はこの時、始めてウキイネガユなる名称を耳にしたわけだ。
「エエ。ウキイネガユ。稲刈市のキョドー料理です」キョドー料理と言うのは、郷土料理のことなのだろう。セルジオ君は重ねて言った。
「私、ニホン料理に興味あります。ゼヒ、ウキイネガユ作ってみたい思います」
僕はピッツァをもうひと切れ取った。「ウキイネガユ、ねぇ…」
セルジオ君は、僕が何も知らないと言うと少し落胆したが、すぐに気を取り直して笑い上戸の酒宴を再開し、夜遅くまで盛上った挙句に朝日を浴びながら上機嫌で帰って行った。さて、残された僕は、荒れ果てた食卓をぬれ雑巾でふきながら、ウキイネガユという料理について取り止めも無く思いをめぐらしていた。
ちょうど僕はふるさとの名産品をテーマにした小説を一本書き上げたところで、その路線でもう一ツ何か書いてもいいなと考えていたのだった。「ウキイネガユ」か・・・、これは使えるかもしれない、と思った。
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そして僕はウキイネガユについて調査を始めたわけだが、ここで参考までに、僕の取材ノートを加筆訂正した上で掲載しておこうと思う。ウキイネガユが一体どのようなものであるのか、理解の助けになれば幸いだ。
ウキイネガユ(ウキイネゾースイ)について
ウキイネガユ・もしくはウキイネゾースイと呼ばれる粥(雑炊)は、稲刈市、(特に現稲刈市三丁目)に伝わる料理である。発祥年代は定かではないが、最も古い資料としては室町時代に書かれた文書にその名が記されている。
作り方はいたって簡素。まず、干し魚と山でとれたキノコ数種を弱火でコトコト煮こみ出汁をとる。出汁をとるというより、具がとろけてしまうまで煮るのがよい。このスープにナズナ・タンポポの葉・セリなど食用の野草を大量に入れる。また、昔は稲刈川流域にのみ自生していた俗称アカイネカリソウ・アカヒエダバナ・アワオオバナなどの草を採取して使用していた。(これら、稲刈市とその周辺地域でのみ見られた珍しい植物は、戦後、外来種であるセイタカアワダチソウの急激な増殖の影響によりほぼ絶滅してしまった)
ここに飯を入れ、さらにコトコト煮こみ、最後にこいくちショーユで味をととのえて出来上がり。(室町時代にはミソを使っていたらしいが)
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稲刈市の区画整理に尽力した政治家、杉山大志の息子である文筆家の杉山京二氏は、ウキイネガユについて次のような記述をしている。
「ウキイネガユは稲刈市の春の風物詩として現在も親しまれている。どうも春が来るとウキイネガユを食べるというのは室町以来の伝統であるらしく、正月にぞう煮を喰い、節分にイワシを喰い、冬至の日に唐茄子を食べるのと同じように、欠かすことの出来ぬ年中行事なのである」(「稲刈市雑感」より)
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近年では伝統復興の流れもあって、稲刈市の公立小中学校の給食にもウキイネガユが出るようになり、地元の婦人会でも毎年3月、4月にウキイネガユの講習会を催している。
筆者も昨日催されたその会に参加して試食させていただいた。恥かしながら、ウキイネガユを食したのはこれが初めての体験であった。
さて味の方は、基本的、七草がゆと思っていただければよいが、スープが(ごく普通の美的感覚でいくと)汚くにごっていて、干し魚のせいか生臭い。やはり、七草がゆとは全然違うか。
婦人会の会長さんは筆者の参加を非常に喜んで下さり、通販で買ったというとっておきの健康によいお茶を入れて下さった。(プーアール茶を数倍不味くしたような味である。)
「あんたみたいな若い人がウキイネガユに興味持ってくれているのは、うれしいですけんな」と会長は金歯をキラキラさせておしゃっていた。(実にキラキラ光る金歯だった。)
健康によいお茶のついでに、会長はウキイネガユに関する資料を二冊貸してくれた。一冊は『稲刈市史』、稲刈市の史料である。もう一冊は『山人食楽記』。江戸時代に書かれた料理の本でかなり詳しくウキイネガユに就いての記述が見られる。有難哉。
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『山人食楽記』に目を通してみると、「天にも昇る心地、身は宙へ浮き、心ここに非ず。極彩色の国へといざなわれるかの如し」とある。そこまで美味いものなのかな、と少し首をかしげる。
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くぐもった日の光が川の上をすべるとそれは光沢となった。それをかきわけるようにして舟は進んでいた。
僕は川の中にそっと手をさし入れてみた。シーンというオノマトペが似合うような、手が切れるように冷たい水だった。手を入れたところから、小さな渦が巻き起こった。なんだか、水面にあふれ返っている宝石のような光沢を手ですくい上げられるような気がしてならなかった。
舟は川をゆっくりと下って行った。僕はハンカチを取り出して、冷えた手をぬぐった。ここなはマフラーをゆるめて、舳先に頭を載せた。
「今、漕いでるの?」
とここなが尋ねた。
「いや」と僕。
「流れに乗ってるだけ」
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春風に酔わされしかな稲刈川
稲刈地方に古くから(と言っても、たかだか江戸時代の作だろうが)伝わる川柳である。詠み人知らずである。
春先の病い、などという言葉もあるくらいで、春になると精神に変調をきたす人が多くなる。
稲刈市、特に、ここ三丁目のあたりには、キツネつきや、神の憑依に関する言い伝えが多い。
そして、そうした言い伝えはどれも、春先に起こった事件とされている。
こんな話がある。
つつましく暮らしていた農夫の間に、男の子が生まれた。ごく普通、平々凡凡な、これと言って変わったところのない児だ。
しかし、その子が数えで三ツになった年の春のことだった。野良から一服しに家へ戻って来た父母が、痛む腰をさすっていた昼下がり。
その子はだしぬけに目をらんらんと輝かせ、うわごとのように「コウズイだ、オオミズが見える、ミンナ流される」とわめき出した。父母は驚き、一体どうしたんだとその子に問うたが、子どもはただただ「洪水だ、洪水だ」とくり返すばかりだった。やがて男の子は日に日にやせ細り、そしてとうとう死んでしまった。
「これはこの子に神が宿り、かようなお告げをなすったに相違ない。がためにこの子の死期も早まったのだ」村の寄合いで、村の長がこう言うと、村民たちはそれに間違いないと皆一様にふるえ上がった。さっそくやぐらを立て、神の怒りを静めるべく祭りが催された。そのかいあってか、洪水は起こらずに済んだ。
また、こんな話もある。
あるご隠居が、縁側で猫の背中の蚤を取っていた。そこに、息子の嫁が番茶を持って来た。しかし老人は、いつもならこれを喜んで飲むというのに、目もくれず猫の背中ののみをとり続けていた。「おじいさん、おじいさん、お茶を持ってきましたよ」とささやいても、猫の背中を凝視しているばかりで、返事をしない。嫁は顔をのぞきこんで思わずゾッとした。老人の目の焦点が合っていなかった。まるで、この世にないものを見ているかのようだった。
老人は唐突に口を開いた。
「ハッハッハ・・・見事な花畑だ・・・金の花、銀の花まである。川には宝石が流れているのかね・・・まばゆくて、アァ、花が咲き乱れているよ。キレイだ、キレイだ」
直後、心不全の発作を起こし、老人は逝去した。
この老人の話は、臨死体験の事例として複数の脳科学の本に取り上げられているので、ご存知の方も居られるやも知れない。実はこの話と極めて類似した事件が、他にも多く起こっている。
最も悲しく、書くに忍びない話は、「おどりをんな」と呼ばれる事件だ。
ひとりの若い女がいた。二十すぎて、初めての子を腹へ宿していた。もう少しで出産という頃、やはり春先のことである。
彼女はその日、夫と一緒に昼飯を食べていた。夫は、「もうすぐ生まれるなァ、楽しみで仕方がない」と、いたって上機嫌な面持ちで飯を食べていた。しかし、女は思いつめたように碗の中を見つめたままで、黙りこんでいた。
と、突然、女は碗を打ち棄て、お櫃を蹴っとばした。そして、呆気にとられた夫にむかって、こう言った。
「天子様、すぐにお元へ参ります。何故、命の惜しいことがござりましょうか」
言うなり、キリキリ舞をしながら表へ飛び出した。そして、言葉にならない歌を大声で叫び、妊婦とは思えぬほど激しく踊り回り、走り回り、そして稲刈川の岸へたどり着き、そのまま身を投げた・・・・・・
村人総出で探したが、一向に見つからない。やがて日も暮れて、ちょうちんの灯りの飛び交う中、何艘もの船を出して探索を続けたが、とうとう死体は見つからずじまいだった。
この妊婦は、なぜ発狂したのだろう。腹の子が実は不貞の子だった、或いは、つわりが激しかったからだ、など、様々な原因が今までに考えられている。しかし、いずれにしても真相は闇の中だ。
さて、これらの事件を単なる「春先の病い」として片附けてよいだろうか。
よくはない、ということに、僕は気付いてしまった。
その啓示は、僕が金歯会長にお借りした本を読んでいた時に下された。突然、僕は雷にうたれたかの如く、目玉とウロコが一緒に落ちたかのごとく、脳裏にひとつの答えがきらめいたのを感じ、ただ呆然とする自分を見出した。
前述した、これらの憑依(?)伝説が起こった地域と、ウキイネガユを食べる風習があった地域が、美事に一致していたのである。
どう考えても、ウキイネガユに何らかの原因があるように思われてならない。
僕はもう一度『山人食楽記』をひも解いてみた。「天にも昇る心地、身は宙へ浮き、心ここに非ず。極彩色の国へといざなわれるが如し」
以下、延々と記述が続くが、どうもその内容は,LSDなど幻覚系ドラッグを使用した時に陥る状態を思わせるものに思えてならない。
ひょっとしてウキイネガユの材料に、幻覚作用のあるものが使用されていたのでは?
また、近世になると、前述したような不可思議な憑依事件はパッタリとなくなっている。いつ頃からなくなったのかと言えば、セイタカアワダチソウの大繁殖による稲刈市固有の希少植物絶滅以後なのである。
答えはひとつである。かつてウキイネガユに使用されていて、今はもう絶滅してしまった稲刈市固有の植物の中に、極めて強い毒性・幻覚作用を持つものがあり、それを食してしまったために前述したような一連の事件が起こったとしか、考えようがない。
※
僕はリビングに茶色がかった本を何冊も重ねて、ここなにそのようなことを述べた。ここなは沈黙して、それらの本を見つめていた。
話し終えて僕はフゥとため息をつき、傍らの湯のみを手にした。熱いお茶が心地よく僕を潤した。「どう思う?」少し気色ばんで、僕はここなにそう問うた。
ここなは無言のまま立ち上がり、となりの部屋へ行った。ガサゴソと何かを探す音がして、しばらく経ってから、ここなは何枚かの紙切れを持って来て、僕に差し出した。僕は「これは何だい」と言って受け取った。
思わず僕は息をのんだ。
そこに描かれていたのはーー
一枚目。むかい合って昼飯を食べている夫婦。夫は笑顔、女房はふくれた腹を抱え、項垂れている。
二枚目。髪の毛を逆立て、紫色に変色した顔で、夫を見下ろす女房ーー足元に割れた茶碗が転がっている。
三枚目。緑色の髪をふり乱し、天へ炎を吹きかけ、踊り狂う女。
四枚目。ひるがえる着物の裾、飛び散る水のつぶて、燃え上がる川岸ーー
「これはーー『おどりをんな』の絵?」
「そう」ここなは身をかがめ、僕に顔を寄せた。
「昔図書館で働いてた時、蔵書の中に『おどりをんな』について書いてあるを本見つけたの。」
ここなの声は、こころなしか、震えていた。
「これは、その本に載ってた絵の模写」ここなは、ハ、ハ、と無理に笑い声を上げて、すとんと座りこんだ。
「最後の場面の絵まで写すつもりだったんだけど、途中で耐えられなくなって、描くのやめちゃった。最後の絵なんか、色もぬっていないし、描きかけでしょ。ーーもう限界だったのよ。私には、とても描き切れなかった。とても描けなかったよ。私にはーー」
ここなは、泣き笑いのような顔をした。「限界になって筆を止めたとき、『たぶん私は、本当ににすごい絵描きにはなれそうにないナ・・・』って思ったよ」
僕は絵に釘づけになっていた。目を反らすことができなかった。
ようやっと、自分のものとは思えぬしゃがれた声で、こう言った。
「それにしてもーー村の人たちはーー自分たちが毒草を食べてるって知っていたのかなーー」
「知ってたでしょう」とここなは言った。
「じゃァ、何故ーー」
「毒草の向うに快楽があったからよ」ここなは吐き出すように、言葉を続けた。
「ありふれた美では、人を揺り動かすことはほとんど無理なのよ。人は猛毒の中に見出した美に強く惹かれるものなのよ」
ここなは、ゆっくり、ゆっくりと息を吐いた。そして、言った。
「私が本物の芸術家になるにはね、
毒にまみれて、美をつかみどる人ーーこの絵を描き切れるくらいの人間になるか、
はたまた、人が忘れてしまった、人が味わえなくなったありふれた美を、もういいt度至上の美へ昇華できるほど達観した人になるかーー
ーーそのどちらかだね」
ここなは、何かをおっぱらうように、ことさら明るく「ま、いずれにしても大変だypね」と言って、笑ってみせた。
※
肘にひっかけていたカゴが野草でいっぱいになったらしく、婆さんはゆっくりと土手を這い上がって、そして僕らの視界から消えた。ここなはずっとそれを目で追っていて、そして川に目を転じた。僕は立てた自分のひざにほおづえをついて、まどろんでいた。
「ねぇ」とここなが僕の方を向いて言った。
「何か考えごとしてるの?」
「ん」僕は少しつっかえながら答えた。「ーー春にまつわることを考えてたーー」
咳をひとつして、僕はほおづえをやめて少し前屈みになった。ここなは少し笑って、川へ目を転じた。今度は僕が尋ねた。「何を見てるの?」
「水の、流れるさまを、見ているのよーー」ここなはそう言った。そして、僕の方を見て、続けた。
「踊りながらこの川へ身を投げた女の人は、どこへ行っちゃったのかな」
川の水面には、きらきらと輝く光沢があふれていた。春霞の向こうの太陽は、今、空の一番高いところにある。
「たぶん、海へ流れていったんだよ」と僕は言った。
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