向かい風を受けて

今年は入浜権誕生30年に当たる。この記念すべき年に入浜権ということばの生みの親、高砂のア裕士先生の集められた関連資料を環境人間学部の図書館に収めさせていただくことができたのは幸いだった。
昨年は播磨灘を守る会が30周年を迎えた。この会の代表青木敬介先生もア先生も共に勝れてあたたかな宗教者である。お二人は直接協働されたことはなかったようだが、共に「もともと海はだれのものでもない」(『穢土とこころ』)「海は海のもの」(『渚と日本人』)ということばを残していらっしゃる。
いつからわたくしたちは地球上の空間をすべて人間のものであると思うようになったのだろう?
白砂青松の浜が失われ、田地還元されずに海に流れ込んだ富栄養が赤潮を発生させ、大阪湾からの流れが細って貧栄養になったところでは海の生物が減少するということが起こっている。
これらは環境のあげている悲鳴かもしれない。人が環境に配慮しないふるまいをすれば、環境は環境自身のことばで語る(Schumacher)。ここに来てわたくしたちも、ようやく環境の声に気付きだした。
えらいことになりましたね。憂鬱なことですね。でもここであきらめたり、めげたりしてはいられない。この環境の声に耳を傾け、自らの振る舞いに心をいたすときがきたのだから。
幼い頃、帆をあげた舟が追い風で進むだけでなく、向かい風を受けても航行することを知って心底驚いたことがある。向かい風が吹いているときこそ、人の智慧の見せどころなのかもしれない。わたくしたちも帆を工夫して船出しよう。皆さん、美しい兵庫に向かってボン・ボヤージュ!(随想連載最後の日に)
神戸新聞夕刊一面随想2003.8.27

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