神戸新聞一面随想
アイコン 知恩

「怨みに報いるに怨みをもってしたならばついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそ怨みはやむ」(『ダンマパダ5』)
1951年のサンフランシスコ講和会議においてセイロン(現スリランカ)蔵相(後に大統領)故ジャヤワルディンはパーリ語で書かれた古い仏典(漢訳は法句経)からこの一節を引用し、憎しみを持つことなく、日本に対する賠償権を放棄することを表明した。そのお蔭もあって翌年の八重桜が咲く頃、日本は国際社会に復帰することができた。
この大統領の遺言状には「視力を失った日本の人に、私の角膜を役立てるように」という一行があった。死後実際に角膜のひとつは群馬県在住の日本女性に移植された。これだけでなく、わが国はこれまでスリランカから少なくとも二千以上の角膜の寄贈を受けている。かの国にはシビ・ジャータカという仏の前世物語に倣って眼施をする人が多い。昨年十月には国交五十年を記念して新たに五十の角膜を贈られた。
このようにわが国は、スリランカには怨みを水に流してもらった上に貴重な頂き物までしている。日本の医療関係者の方々はお返しに医療援助をして下さっているが、大半の国民はスリランカからこのような恩を受けていることを知らないままである。
「知恩」はサンスクリット語でクリタ・ジュニャーといい、これは「なされたことを知る」という意味である。怨みをすてること、善くなされたことを知って記憶することは、相互理解を助け、国際環境の向上に貢献する。幸い日本人にも怨みを水に流す気風はある。恩のほうはさらりと忘却のかなたに流してしまわないようにしたいものである。
神戸新聞夕刊1面2003.05.09

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