2004年10月31日(日)
安弘叔父納骨/城巽小学校大鍋行き先決まる
・本堂で安弘叔父四十九日法要。心配していた雨も降らず無事納骨がすむ。東京の賢子叔母一家、千葉の統夫叔父、その他来寺。
うららちゃんのかわいらしかったこと。文弘との連弾がとてもよかった。
・兵庫県大ボランティアチームは出石町で活動。ご苦労様でした。
★田中美染さんの大鍋は金子さんのところで炊き出し班ができることになって、いよいよ行き先が決まった。金子さん、すばらしい行動力!あす鍋は新潟に向けて出発する。
・いろいろあった週末だった。当たり前にご飯が食べられることがつくづく幸せであると思える。
2004年10月30日(土)
新潟の連携先が決まった/兵庫県大豊岡水害支援バス出発
姫路駅南口から豊岡に向けて兵庫県立大学ボランティアチーム出発。今日明日のべ240人が参加する。雨が心配。神戸新聞斉藤記者からTEL。マスコミも兵庫の災害を忘れずにいてくれるようでうれしい。
★朝、「新潟県NPOサポートセンター」の金子洋二さんが千姫井戸端へ書き込んでくださる。金子さんの「にいがたNPO情報ネット」の示唆にしたがって行動することにした。田中美染さんがご提案くださった大鍋の行方も金子さんに月下氷人をお願いする。現地もおとといあたりから漸く暖かいものを供するようになってきているので、いよいよ鍋の出番だろう。自治組織も誕生してきているようだ。新潟の災害ボラ本部→
2004年10月27日(水)
千姫タオルプロジェクト最終日/JSKEクロスセッション
今朝朝日のサンパチさんの記事が出て、70名を超える市民の方がタオル雑巾をお持ちくださった。いるかさん、大杉さんという方もお手伝いに来てくださった。問い合わせも多くくう隊員はてんてこ舞い。感謝です。
千姫タオルプロジェクトはダンボール計44箱約5,000枚のタオル雑巾を豊岡水害ボランティアセンター黒澤様へ届けた。
★わたくしはJSKEクロスセッションMIND the GAPで上京。感性工房部会とコンテンツの濃いセッションが出来て感激した。
2004年10月26日(火)
千姫タオルプロジェクト2日目
今朝は神戸新聞の敏蔭記者が記事を書いてくださった。
コメット☆⌒さん経由でJC(青年会議所)の人たちのすごいタオル寄付をお伝えいただき10,000枚のタオルが豊岡へトラック便で届く。
★香呂南小学校 http://www.hyogo-c.ed.jp/~korominami-es/index_msie.html 644枚のタオル雑巾を1日で集められ、子供たちの寄せ書きとともに6箱のダンボール箱に入れられkuma隊員便で届く。
 
2004年10月25日(月)
千姫タオルプロジェクト
★くーをはじめとする隊員と生協さんのご協力を得て、大きなダンボール5箱のタオル・雑巾を豊岡水害ボランティアセンターへ発送。また千姫Tシャツ、雑巾・タオルダンボール2箱を「みみにっちょ」隊員の研究室にお預け。田中美染さまが格安タオルを50円タオル募金用にお持込いただいた上に、ブランド物のタオルをたくさんに寄付してくださり、感激!隊員と学部の先生、学生らからもつぎつぎに持込やら募金を頂く。今日一日で1000枚を超えるタオル、雑巾を豊岡へ送ることができた。
★新潟県庁に連絡。まだ道が通じておらず、ヘリコプターで物資を運ぶほかない段階。もう2,3日して道がついたら、協働します。
2004年10月24日(日)
新潟県中越地震
23日17.57、新潟県を震源とするマグニチュードは6.8の「新潟県中越地震」が発生し、新潟県小千谷市で震度6強の激しい揺れとなったほか、新潟県長岡市などで震度6弱を観測した。また、18.12にも新潟県小千谷市で再び震度6強の揺れが起きたほか、18.34には新潟県十日町市でも震度6強の激しい揺れを観測した。震度6がこのように続くのは180年ぶりだそうだ。
あすから千姫プロジェクトがはじめる豊岡支援のタオルプロジェクトに協力してくださる田中美染さんが新潟に炊き出し用の大鍋を送ることができるとおっしゃるので、三条市の地域通貨「らて」に連絡した。市役所のらて担当課長さんがお電話くださって、十日町市の地域通貨関係の小林さんにメールを入れたとのこと。うまくお役に立てばよいのだが。

  小千谷の崩れた家
2004年10月22日(金)
山陽道事故
午後5時25分ごろ、岡山県熊山町奥吉原の山陽自動車道下り線の福富トンネル出口付近で、乗用車2台と大型トラック1台が絡む事故。トンネル内を走っていたわたくしも出口から200mところで止められる。みんな壁ぎりぎりに車を止め中央を空けた。警察消防などがすり抜けてゆく。トラックとバスの間にいたわたくしも緊急車両を通すために、指示を受けて度々前や後ろへ車を動かした。2時間閉じ込めらる。息子を岡山へ迎えに行くところだった。束の間電波が通じたときに、自宅から電話があって連絡を頼んだ。姑はニュースで事故を知って一生懸命携帯に電話してくれていたのにトンネル内で通じず心配したらしい。
2004年10月21日(木)
水害救出
20日午後9時15分ごろ、京都府舞鶴市内の国道で、台風23号の影響で由良川から水があふれ出し観光バスが立ち往生。乗客の「兵庫県市町村職員年金者連盟豊岡支部」の37人は21日早朝、海自ヘリで次々とつり上げられ、約10時間ぶりに救助された。膝まで水が来たときに男性がハンマーで窓ガラスを割り、カーテンをつないでロープを作り、バスの上によじ登り、女性から吊り上げたという。端は危ないので真ん中に固まり、元看護師さんの指導で歌をうたって励ましあった。驚異的なチームワークが生まれた結果の救出だった。
2004年10月20日(水)
台風23号

朝から大学に出たけれど、研究科委員会が終わったところで岡山県内の鉄道全線、山陽自動車道備前までが通行止めになったことを知り早退する。直後、神戸JCTまで閉鎖になった。
国道二号線大渋滞。備前大橋で風にあおられたトラックが横転し、通行止めになったためだった。二樋から折れたら県道も渋滞。帰宅までに3時間を要した。
庫裏雨漏り、お上人の布団の上に天井板が落ちる。真淨院の門も壊れる。
しかし、世間はもっと大変で。岡山兵庫はとくにひどかった。

2004年10月18日(月)
銀閣寺同仁

第2回目真古流お稽古。ついに種子島の花鋏を分けてもらった。花鋸や、花を包んで帰る花合羽も。
今日のお花は菊ばかり4種類。「しん」をまっすぐに立てるのに骨が折れた。白菊をしんに、佐賀菊、糸菊を添え花に、下には小菊と白菊を、なんとか立ててみたが、最後に玉緒先生が小菊を少しずらせて下さったら、全く風景が変わった。すごい。
花を立てているとき、時々、庭の水の音がふと聞こえ、ああ、水が流れているんだ、と思った。水はずっと流れているのだけれど。こんなに集中する時間があるというのは貴重である。

2004年10月17日(日)
シンガーラへの教えと中村元先生

春秋社から頼まれていた原稿を書く。現代における仏教の実践と仏典ということだったので、『シンガーラへの教え』とNPO活動について書いた。今年でた『原始仏典第3巻』(春秋社)に中村先生のこれの訳が収録されていた。わたくしたち夫婦も長阿含経を訳したので、共著となった。
そういえば、中村先生の祥月命日は10月10日だった。もうお亡くなりになって5年目である。ついこの間のことのようだけれど。文化勲章を受賞されたパーティでリボンをお付けしたときのこと、翻訳文化賞を共同受賞したときに息子といっしょに写真を撮ってくださったときのこと、いろいろなことが走馬灯のように甦ってきた。

2004年10月15日(金)
金木犀と天職

秋晴れである。金木犀が咲くと学問を志した頃を思い出す。志を立てるということは、人生のビジョンを描くということと同じなのかと思う。
今している仕事はあの頃志した学問とは隔たったように思える。しかしよく考えてみると、今の環境と仏教のことを考えることこそが、はじめからやりたかったことなのかもしれない。
で、考えてどうする? 9月に須磨久善先生が人生の選択に対して語られた問を思い出す「何をしたら人に一番喜んでもらえるか?」勉強してわかったことを人に話すこと。これがわたくしの答えだと最近ようやく思えるようになった。

2004年10月14日(木)
地域通貨国際会議

ケネディさんがご親族の都合で予定を半分にされることになった。神戸へは予定通り来てくださるとのこと。
ミゲルさんが国際会議にご参加くださるということで、とてもありがたい。
昨夜の事務局会議ではそれぞれのメンバが最高の働きをしてくださっていることが確認でき、感激した。

県庁メンバの方々にも、事務作業に当たっているサトウさんにも、局長にも、勘定方のプリ先生にも、ただただ感謝である。
日本JC会頭のコメット☆⌒さんも2日目のパワーランチに来てくださるとの連絡あり。おもしろくなってきた!

2004年10月11日(月)
秋まつり

昨日から福岡はだんじり祭り。実った稲田の横をしずしずとだんじりが行く。
境内の金木犀は満開。秋だ、と思う。
望月の大字典と荻原の梵語辞典を見ながら、F.ヴァレラとE.ホールとマチウとM.ポンティを読む。秋だ、と思う。

2004年10月9日(土)
Margrit Kennedyさん

12月18-19日の国際シンポジウムに招待するケネディ教授のメールにやっと返事が書けた。
と思ったら、すぐに返事が返ってきた。
メールがなかった頃、手紙を書いて戻ってくるまでには10日はかかったのだけれど。

ケネディさんはご主人と二人で2週間日本に滞在される。
ミゲルさんと連絡を取られて、森野さんのところでも講演される計画のよう。
実り多い来日になりそうで、お呼びするものとしてうれしいことである。


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